saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

夜の底を走る。

これはchikaがまだ男の姿でいる事が多かった頃の昔の話。
京都方面で飲んで飲んでベロンベロンになって、それでも帰巣本能が働くのか、大阪に向かう。私鉄に乗り込むもこれが最終で、市内に入った時点で、とうとう帰宅の足なし。その日は所持金が乏しく、タクシーも無理、これは自力で帰るしかないと決意。
時効だから言っちゃうけど、道ばたのチャリを無断レンタルして距離を稼ぐものの、さすが道ばたロンリーチャリだけあってチェーンが外れ、放棄。酔った勢いで、歩く走る走る歩く、、、しかし何時になってもどこかに店の明かりがあるのには驚いたし、それと同じ数だけ正体不明の人影がうじゃうじゃと、、一体これは?、、、時刻は夜中も夜中、どちらかとゆーと夜明けの方が近いと言うのに。
都市って妖しい、、街って生きてる、、その猥雑で根太くひめやかなエネルギーを改めて意識したのがこの日だったな。
阪神淡路の時の街の破壊ぶりは凄かったけれど、この「根」みたいなものは、密かに微かに地中に残っていたような気もする。
今度の大震災はそれこそ、その「根」も含めて洗いざらい持って行った感じがあるんだけど、、。・・もうよそう「街」を作るのは人なんだから。


東日本大震災:「放射能怖い」福島からの避難児童に偏見

 原発事故で被ばくを恐れ福島県から避難してきた子供が「放射能怖い」と偏見を持たれるケースがあるとして、千葉県船橋市教委が全市立小中学校長らに配慮するよう異例の指導を行っていたことが分かった。福島県南相馬市から船橋市へ避難した小学生の兄弟の事例では、公園で遊んでいると地元の子供から露骨に避けられたという。兄弟は深く傷つき、両親らは別の場所へ再び避難した。大震災から1カ月たつが、福島第1原発の深刻な事態が収まる見通しは立っていない。知識の欠如に基づく差別や偏見が広がることを専門家は懸念している。【味澤由妃】

 南相馬市の小学生の兄弟のケースは、避難者の受け入れ活動に熱心な船橋市議の一人が把握し、市教委に指摘した。市議によると兄弟は小5と小1で、両親と祖父母の6人で震災直後船橋市内の親類宅に身を寄せ、4月に市内の小学校に転校、入学する予定だった。 兄弟は3月中旬、市内の公園で遊んでいると、方言を耳にした地元の子供たちから「どこから来たの?」と聞かれた。兄弟が「福島から」と答えると、みな「放射線がうつる」「わー」と叫び、逃げていった。兄弟は泣きながら親類宅に戻り、両親らは相談。「嫌がる子供を我慢させてまで千葉にいる必要はない」と考え、福島市へ再び避難した。
 福島県から県内に避難し、この家族をよく知る男性は「タクシーの乗車や病院での診察を拒否された知人もいるようだ。大人たちでもこうなのだから、子供たちの反応も仕方がない。でも、当事者の子供はつらいだろう」と話す。
 市議の指摘を受け、船橋市教委は3月28日「(放射能への)大人の不安が子どもたちにも影響を与え、冷静な対応がとれなくなることが危惧される」として、避難児童に「思いやりをもって接し、温かく迎える」「避難者の不安な気持ちを考え言動に注意する」よう市立小中学校長らに通知した。
 市教委によると今月から市内の学校へ通う被災者・避難者の子供は43人で、うち38人は福島県出身という。
 避難児童を多数受け入れる市立行田西小学校の中村俊一校長は、「温かく迎えるのは言われなくても当たり前のこと」と強調。「放射能を巡る偏見や方言で児童を傷つけることがないよう注意深く見守ろうと、教職員に何度も話している。始業式や入学式で『いつか古里に帰れる日が来るでしょう。その時に船橋に来て良かった、友達ができて良かったと思ってもらえるよう仲良くしてください』と呼びかけた」と話す。
 市教委に指摘した市議は「話を聞き、心がさみしくなった。船橋の子供たちにはいつも『思いやりのある人になってほしい』と言っている」と話す。


 この差別体質、昔から何も変わってない、、。
 差別の対象が事象や時代ごとに変わるだけ。
 まあ子ども同士がやることは、理を解いて教えてやれば直る事もあり、この事を取り上げて鬼の首を取ったように正義面して非難するのもどうかと思うけど、背景にあるモノは許してはいけないと思う。日本人、何百年、この手の差別を続けるのかって話。

物事に対する正確な理解は、確かに差別を解体する有効な手段だけど、それは決定打ではない。
相次ぐ風評被害を見てもそれは判るだろう。頭では誰もがある程度、物事の理解はしているのだ。
ただその理解が自分の感情を制御する所まで届かない。そこに他者への共感力・想像力が必要になる。
他人の痛みを自分の痛みに置き換えて感じる能力、とは聞こえがいいが、世の中、場合によってはきれい事で流せない事も多々ある。
人の思いには自己保身が必ず働くから、相克が生まれる、容易くはない、そこの処理が偽善と善の境目にあるものだ。
この話、我々は非難の材料とするのではなく、「放射線がうつる」と叫び逃げていった子ども達の親として、彼らにどう教え諭すのか、自分はどうすべきなのかを考える材料とすべきだろう。

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!