saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

堀江貴文と麻原彰晃

ホリエモン逮捕の特番が凄く刺激的だった。事件そのものへの興味より、人間・堀江貴文という存在がこれほど克明に読みとれるとは、、。
ホリエモンの喋る内容はいつも面白い。これは多くの人間が感じる絶対的な事実じゃないかと思う。
その面白さはホリエモンが語る内容が、飛び抜けてユニークだからではなく、逆に我々にとってその内容が充分理解出来るものだからではないだろうか。
それは、ビートたけしの面白さに似ていなくもない。所謂、直感的真実みたいな歯切れの良さというか、多くの人々がその内容を語るためには、わざわざ遠回りをし、例えを引っ張って見せ、相手に気を使いながら、ようやく伝えられる内容を、たったの一言で言ってしまって更にその先の内容まで触れてしまう。
普通の人間は、自分のこれから喋って見せようとする内容が「正しい事(として受け入れられる)」なのかどうかを、何かの価値基準に照らし合わせながら考え判断し、躊躇してしまうから、なんとなく頭の中で考えていることがモヤモヤとしたまま終わってしまうのだ。
その照らし合わせの価値基準とは、人によって様々だろう。ただ様々ではあるが、多くの価値基準は「世間一般で通用する」ものという側面を持っている筈だ。
つまり言い換えれば、自前の価値基準などものの役には立たないし、それを維持すること自体がしんどい事なんだと多くの人間は知っているのである。だからといって、自前の価値基準でバリバリと自由自在に生きてみたいという欲望がないわけでもないのだ。ホリエモンの発言は、我々のその欲望に直接語りかけて来る。

chikaは何故か、堀江貴文オウム真理教麻原彰晃が重なって見える事がある。なぜオウム真理教麻原彰晃)が多くの信者を獲得できたのか?事件としてオウムが括られた今は、オウム真理教の犯罪性のみが取りざたされるのだが、オウム事件で最も重要だった問題は「自ら付き従う信者がいた」という事実ではないのだろうかと今でも考えている。
 麻原彰晃は一般的には完全に「墜ちた教祖」となったが、堀江貴文は「墜ちた時代の寵児」と表現されるほどには、人々の心の中で「悪」とは見なされないだろうと思う。
これからも続くであろうマネーゲーム教の一教祖として、彼ほど「真摯で愛嬌のある青年」はいないからだ。
又、彼が自分が無罪であると主張し続けるのも、彼の中では当たり前の事なのだろうと思う。人が作った「罪と罰」なら、彼にとってはそれを本気で受け入れなければならない理由はドコにもないはずだからだ。
それが彼のルールと世界だった事は、ライブドアですでに証明済みである。そしてそのルールと世界によって彼自身が摘発されたのは皮肉と言えば皮肉なのだが。
想定内が想定外を呼び込むとはホリエモンも想定外だったのだろうか。

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!