saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

平成の生け贄

インターネット関連企業「ライブドア」グループの証券取引法違反事件で、東京地検特捜部は23日夜、同社社長の堀江貴文容疑者(33)ら4人を同法違反(偽計、風説の流布)の疑いで逮捕した。

マスゴミで特番が組まれ、ホリエモンが今まで喋りちらした事の全部が時系列で並べられているのを見て鳥肌が立った。
多分、今この時までは、ホリエモンにしたって自分自身がマスゴミに露出する事、イコール、ライブドアを有利に導くための「情報操作」の一環に過ぎない行為だっただろうと思うのだ。
所が今は、ホリエモンの言動録は、まるで小学校の先生に、文法を点検される為に提出させられた作文みたいなものに変質してしまっている。
ホリエモンの「その時々に違法か合法かを常に判断してきた」と言う言葉は、今やベンチャー企業のトップが背負うリスクとしてではなく、塀の向こう側に落ちるのか落ちないのかの物差しにしか過ぎず、跳ね上がりの若造の戯言として処理されそうな勢いでもある。

池袋ウエストゲートパーク石田衣良が「 ホリエモンが、出る釘は叩かれると言った形で、経済フィールドの人間であるにもかかわらず道徳的に非難されるのはおかしい」と言ったが、その事は心情的に理解できるけれど、余りに判官贔屓に過ぎるのではないかと思う。
資本主義「経済」の追求が常に多くの、人権を軸とした社会構造や個人の人間性を危険にさらすという事実も忘れない方が良いと思うのだ。
「経済」を「道徳」で罰する、、、、日本の倒錯したお家芸だが、それは本当に悪いことなのだろうか?それは日本を覆う、旧体制や旧思想を簡単に「悪」だと決めつける思いこみに基づいているのではないかと言うコトだ。
経済を全てに優先すれば100人の人間が構成する村なら80人がたは死ぬか、非人間的な生活を余儀なくされる。資本主義経済とは元からそんなものではないか?現実には100人で構成される村がないから、経済最優先が生み出す全ての「痛み」が希釈化され、許容されているのに過ぎないのではないか。
chikaが今必要だと思うのは、ホリエモンが旧経済世界に対する革命児ではなくて、単なる旧世代の「変種」であり突出した存在に過ぎないのならこの騒ぎどうなのか?という問題意識の立て方である。
それにホリエモンが若い世代の希望であってもかまわないのだけれど「どうせ一度きりの人生、触法ギリギリでしのいで濡れ手に泡の行き方で何が悪いの」ってゆー生き方が支持されているんなら、この国は滅びるしかないとも思う。
なぜならばこの国が持っている経済に関する「法」も、「ルール」も、最初から余りにも脆弱だと思うからだ。日本人はその脆弱さを、まったく別の次元で補って来た民族なのではないかと思うのである。
その脆弱さを補ってきた、日本人がまだ捨てきれずに持っている美質や、共同幻想を破壊して行けば、欧米文化もアジア文化も本質的には身につけていない我々に残る精神的な軸は何もないのだ。
だからと言ってホリエモンを、体内に侵入してきたウィルスのような扱いにしたところで明日が見えるとも到底思えないのだが、、。

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