真田丸 第8回
色々な事を考えさせられて、感想を書くのが中々進まないというのは、嬉しいことのような邪魔くさいような(笑)。
でも少なくとも最近のNHK大河では、絶対なかった状況であるのは確かですね。
海津城城代の春日信達に対する「裏切そそのかしワールド」と、その顛末で正味ガッツリ45分。
唯一の救いは、源次郎の叔父・信尹の「俺みたいなんかなるな」の一言だけという、理不尽さで覆い尽くされた45分。
そ言えば真田家長男の源三郎も、第3話辺りで父親の昌幸にきっちり利用されてましたが、暗黒性で言うと今回の源次郎に与えれたミッションの方が酷いかも知れませんね。
でこういう話を見聞きする度に、chikaは昔ビデオで見た千葉真一さん主演の『戦国自衛隊』の一場面を思い出すんですよね。
つまり現代から戦国時代にタイムスリップしてしまった自衛隊員が(現代基準で言うと精神面でも肉体面でもマッチョな面々 )、この時代の武将達の「人殺しぷりっ」とか、価値観を目の辺りにして凹んでしまうシーンが幾つかあるんですよ。
彼らにしたら当たり前の人への処遇が、自衛隊員には当たり前ではない。
戦国時代の世界を、平成の脚本家さんが書くわけだから、そこに当然、当世流の価値観が流れ込む。
いくら時代考証がなんだかんだって言ったって、頭の先から爪先まで、登場する人間をすべて戦国時代人として再現しても、話としては見る方が理解できないでしょうし、あまりリアルにやられると病気になっちゃうでしょう?
例えば、原始時代を舞台にしたからって登場人物がみんなお猿さんで最後までウッホウッホしてるだけってのはね。
で、最近のNHK大河は、そこに、愛だの平和だの友愛だの凄く近代的で理想的な価値観を、刷り込んで来たんですね。
そして、そのやり方が無茶苦茶「へたくそ」だった。
でもだからと言ってそこに臍を曲げた形で、意固地に「戦国時代のまんま」を突っ込んだからって、やっぱお猿さんウッホウッホなんですよね。
三谷脚本ってその辺りの距離感が凄く絶妙ですね。
考えてみれば、昌幸の国衆統治による信濃合衆国構想は、昌幸がびびった思想的巨人たる信長の「天下統一」構想の縮小版みたいな感じで位置づけられなくもない。
力がないなら知恵で、全部が無理なら手の届く範囲で、いわば、これも現代人が好きな「夢を追いかける」なんですね。
どうも三谷脚本はそう置き換えをしているように見える。
で戦国時代でこれをやると凄まじい「裏切り」と「調略」の世界になる(笑)。
そのくせ、何故だか三谷脚本は、必ず武田勝頼とか上杉景勝みたいな人物はピュアなイメージのまま置いておく(笑)。
まあこんな世界に踏み込んじゃった三谷脚本に心配があるとすれば、源次郎を今後どう造形していくか?って事でしょうね。