saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

電子出版あれこれ

関西では夏の高校野球が始まる頃に、仮面ライダーの放映が途絶えるんです。
しかも内容的には山場にさしかかる頃なんで、かなりイライラします。そして放映開始が半年ずれた今年の仮面ライダーダブルに至っては最終回前!(これは今後も続くから、ずっとか)
えーっ!とか思ってたら、世の中ユーツベなんて便利なものが、、まあユーツベのサイズと画質でTV番組を見てしまうと、なんだかカンニングしてる気分になるんですが、別にライダー程度の特撮映像(言っちゃ悪いけど)を、テレビ画面で味わうのが目的じゃないから、、。
今回のエピソードのキモは何と言ってもイーヴィルテイルでしょう。
この展開には意外とやられました。園咲パパの心理の陰影に触れた脚本に感心!したってわけじゃなく、どーかんがえてもガイアインパクトに絶対に必要なアイテムとか言われたら、あの「イーヴィルテイル」になる筈がない!のにああなっちゃうんだもんなー(笑)。
データ人間を自覚したフィッリプの苦悩の1mmさえ触れないスタンスなのに、何で今更、園咲パパの捨てきれない家族愛を描くかって、ゆー?
もーとっくの昔にダブルに対しては「情のある心理描写」の可能性を諦めていたchikaはどしたらいいの(笑)。

結局、前のエントリーで書いた事に、戻ちゃうけど、このエピソードって、一人の脚本家が琉兵衛パートを何回かに分けて、それを伏線的に散らして置かないと、どうしても説明的になっちゃうから、なんだか退場前だけちょっと小芝居をさせられちゃった感のある寺田農さんが可哀想。
見えないしゅらうどさんと踊る寺田さんのその姿、なんとなくテラー・ドーパントの頭部のゴージャス王冠がテラードラゴンになって飛び立ったあとの先住民族ぽいテラー・ドーパントの寂しさに似てる、、。
でも、脚本で何度も唸らせて来たダブル、普通のライダーシリーズなら、ラスボス上がりで、もう終わってるところが、まだ続きがあるんですよね。刮目して待つべし!

同じく「えーっ」て思ったのが龍馬伝近藤勇坂本龍馬の対決シーン。ってか「飲み比べ」シーン、、、なんだかなぁ、、近藤勇っておまぬけなの?
ホントは近藤勇を、すげー、刀の抜き身みたいな男として描いてるんだろうけど、なんかそう見えない。
まあ理屈で考えると岡田以蔵を逃がした時の龍馬って近藤勇にとっては自分が処分してる浪士の内のたった一人に過ぎないから記憶になかったって事なんだろうけど、龍馬が西郷どんの親戚を語って近藤勇に近付くなんていうド派手な設定で話に入っていくものだから、そういう視聴者の善意の脳内補完が効かなくなってしまったとゆーか。
それにこの二人の居合い抜き合戦のシーンが急に切り替わって近藤勇がのびてるカットへのつなぎって何か意味あったのかな。確かにちょっと恰好良いかもって思ったのは思ったけど。
それと覆い被せるように、寝てる龍馬に襲撃をかけようとした近藤勇に対する重太郎兄ちゃんの加勢シーンね。
あれも恰好良かったけど、何か意味のあるシーンやったんやろか、、、。刀を納めて寺田屋から帰る近藤勇のシーンもなんだか意味ありげだったけど、これも意味がくみ取れないのよね、chikaがあほだから。

という事で、全体的に西郷どんと中岡・龍馬の会話以外(お龍の揺れ動く心理描写を含めて)は、よく考えるとなんだか構造的にプロモーションビデオみたいな感じのエピソードでした。
それと弥太郎とキャッキャの掛け合い顔芸漫才ね。あれは良い。先週の船乗り侍もなかなかだったけど、あれはダチョウ倶楽部のギャグのり、香川照之さんののり突っ込みは若い頃の立川談志級。

PS この前チラっと触れた「激走!!まぼろしトラック」なんだけど、昨日正式に電子出版物としてアップしました。しかも有料で(笑)。
SMfでもPLAMが流行った時には、わざわざPLAMで小説が閲覧出来るデータにテキストをコンバートしてみたり、結構、昔からこういうのには興味があるんですよね。
今度、その気になったのは言わずと知れたiPadのせい。
 ずーっと昔から「今に本はなくなって、すべて電子化される」と言われ続けてきたし、確かに紙媒体は衰弱の一途を辿ってるのが現実だし、でも一方で、電子書籍化されたものがもの凄い勢いで伸してきたかというとそうゆー実感はなくて、、そんな現状が続いて来たわけでしょ。
でも今度はiPadの登場を契機にしていよいよ「向こう側にいく」のかなーって。それなら物書きの端くれとして、この流れに身を晒してみたいじゃない。
 実際やって見て、今の所、気が付いたのが二つの事ね。
一つは価格の事、chikaの場合は「激走!!まぼろしトラック」を300円で設定、他の電子書籍を見ると3000円とかゆーのもあるし30円とかゆーのもある。
媒体自体が紙じゃないし印刷も製本も必要ないし第一流通が決定的に違う、。これで既存の出版物の価格帯が横滑り的に電子出版物に流れ込んで来たら、それこそおかしいとは思うけど、じゃ今度はクリエイティブな活動というか、人の才能・表現に、人はいくら払うのかって、凄く根本的な問題が出てくる。
人によっちゃ「俺が3000円って決めたら3000円なんだよ!」ってゆー人もいるけど、価格を付けた以上はその値段で売れなきゃ意味がない。逆に、それは30円だって同じことなんだろうと思う。
だってchikaも長い間、無料でWeb小説を公開してきたけど、無料だから読者数が増えるわけじゃないんだもんね。
まあそう辺の諸々を含めて「価格」についてはすっごく興味があるんだ。
ちなみにchikaの場合、300円という価格は、「人はいくらならネット上の文章にお金を払うつもりがあるのか」というあるリサーチ結果を基にして決めました。
その上限が300円。それが全体の20%なんだそうです。うーん、それがどうなのかってゆー問題もあるワケで、色々な事を考えてさせられるんだけど、まあ今のところ、自分の中には「これ」という尺度がないので300円にしました。
 例えば、ずーっと小説家を志していて苦節何十年という人がいたとして、これからはネッ電子書籍の時代だとある日考え、自分の作品に300円とかの値段が付けられるんだろうかとか、、。

あと考えさせられたのはページの概念ですね。chikaも長年、紙媒体で本を読んできたらから、一ページに展開される文字数というか文字世界ってゆーのが生理的に読書リズムとして身体に刻まれているんだけど、ディスプレイだとスクロールが効くから、ページを捲らなくてもどんどん流せるわけ。
実際、ワープロで原稿を打ってる時も「○○字詰め原稿用紙」って感覚がなくて、自分の思考の息が続くまでが、1ページみたいな。
 「激走!!まぼろしトラック」もその形態を使っているんで、ページ数でいうとたった17ページ、でも文字数は相当です(笑)。
正直言って、「本」の形態になれてしまってるchikaには、このスクロール読みが疲れるんだけど、書く時は逆に、どんどん書けるわけで、それから考えると、(「しおり」機能があるという条件付きで)これもやっぱり読み手の慣れの問題なのかも知れない。
今のところ、せっかくの「電子」なんだから旧来の「本」の形態に偽装しようとは思ってないんだけどね。
 この話はいずれまた。

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