古館伊知郎を見直す。
美浜原発3号機の事故ニュースで近隣住人の反応をレポートするものがあって、すごく考えさせられた。ああいう事故があっても人々は全然平気なのである。勿論、口で感想を求められると「あってはいけないこと・不安」等といった容易に想像のつく内容がかえってくるのだけれど、身体から発するオーラはどの人も全然、通常モードなのである。
その町から出ていくわけにも行かず、営々とした日常の積み重なりの前に「原発の事故ぐらいで何を今さら」そんな感覚に自分を持っていかなければ生活していけるわけがないのだろう。
これは美原の人々に限ったことではない。美原を日本と置き換えても十分通用する。まあ原発事故に置き換えられるものは今の日本には「いくら」でもあってそれはそれで問題なのだけれど。
chikaはこのような問題意識の鈍磨を批判しているのではない。そうしなければ日々をやり過ごせないのだから仕方ないじゃないのとさえ考えている。
けれど、同じ日に古館伊知郎が例の近鉄オリックスの合併ニュースの際に「選手たちやファンのみなさんがあんなに一生懸命にやってるのに、この人(ある球団経営者)よく笑いながら(選手は関係ないでしょ)なんて言えるな」と果てしなく素の状態で怒っている姿を見て安心したりもするのである。
シンパシーさえ難しくなったこんな世の中では、巧まずして吐露された言葉が人の心を打つ場合が多い。
自分の立つべき場所は時々、点検したほうがいいのかも。