己が「歴史修正主義者」だと自覚出来るような「歴史修正主義者」は存在しない
最近、安倍政権に対して、益々強く感じる違和感について、腑に落ちるツィートがあったのでメモ代わりに。
山崎 雅弘 さん
願望と事実を区別せず、前者を後者よりも優先することを「自分の愛国的な務め」だと思い込む人間が、首相や閣僚ポストを独占した時、その国の将来がどんなものになるかは歴史が教えている。
「歴史修正主義者」は、歴史的事実を「事実か否か」ではなく「自分や自分の所属する陣営にとって得か損か」で判断する。つまり願望と事実を区別せず、前者を後者よりも優先することを「正しい務め」と理解する。福島原発に関する首相の「アンダーコントロール」発言も、こうした思考パターンと重なる。
最近の首相周辺は、主観的な認識と客観的事実の区別ができず、自分たちの主観的な認識を「明確な事実」であるかのように、公式の場所で説明する機会が増えてきた。こうした思考の陥穽とそれを自覚しない態度こそが「歴史修正主義者」の特徴の一つでもある。自分の願望と「客観的事実」を混同している。
これはツィートなので「文題」はないのだけれど、近隣の氏の文章では(「歴史修正主義」の政治家に国政を委ねるリスクについて)というモノがあって、「文題」をつけるとコレに近いかも。
chika的には、アベちゃんがネットなんかで言われるような典型的(ってゆーか漫画的なと言った方がいい)な、「歴史修正主義者」ではない事を祈っているのだけれど、己が「歴史修正主義者」だと自覚出来るような「歴史修正主義者」は存在しないはずだから、その意味においてアベちゃんは充分・容疑者だろう。
てな事を考えていたら、アベちゃん、今月20日の参院予算委員会で、自衛隊と他国との訓練の意義を説明中、自衛隊を「我が軍」と口を滑らしちゃったのである。
「揚げ足取りは良くない」とは、言うけれど、人間の本音や普段・制御なしに考えている事は、こんな場面で出ちゃうのが常だから、やっぱりなと思ってしまう。
もしかして「我が軍」の「我が」とは、日本国でさえなくて「私の」と読み替えて良いぐらいなのかも知れない。
ホントの所は歴史が証明するのだろうけれど、悪く転ぶなら、そんな悠長な事は言ってられない。
それにちょっと考えれば判ることだけど「政治家(政党)に代わり」は、いくらでもいる。
そりゃ確かに、「民主なんて2度とゴメン」ってゆー気持ちはあるけれど、何事も「命あっての物種」という事じゃないのかしらん。
この平成の世の中に、今更「坂の上の雲」みたいな事を国民に求められてもね。