saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

アゴヒゲアザラシの死と子猫殺し

坂東眞砂子さんさんの「子猫殺し」については、人間の男性以外にはペットに無縁なchikaのこと、おそらく触れる事もないだろうと思っていたんだけれど、つい最近、実家から家で飼っているラブラドール犬についての連絡があってそうも行かなくなった。
chika自身、女性作家で世間で言う「気持ち悪い」作品を書き、しかも意固地な臭いのする人にはついつい肩入れをしたくなる傾向もあるので尚更だ。
実家とは言ってもパパリンが一人(「思い人」を連れ込んでいなければ)の構成なんだけれど、そこで飼っているラブラドールの調子が最近おかしいのだという。おかしいというよりも人間なら80歳近い老犬なので、衰弱が目立ち死期が近いということに過ぎないのだけれど。
パパリンも相当年齢を重ねた人だが、幸か不幸か、未だに色気が枯れず、一体何を考えてか家を空けている時間が多いので、所構わず糞尿を垂れ流す愛犬に手を焼いているのだ。
実際、実家をのぞきに行ってみると、ラブ君、随分足腰が弱っているようで寝たきり状態になっている。随分長い間、家の中で飼われていた犬だから、自分の排泄の場所だとか、飼い主に対する排泄前の通知だとかは、ラブ君の身体にしみ込んでいる筈なんだけれど、それらをしたくとも悲しいかな身体がいうことを聞かないらしい。
・・・となるとこの犬の為に、パパリンは家での滞在時間を長くとって面倒を見てやるか、所謂「処置」を考えるか、まったくの責任放棄を決め込むかの三者択一を迫られているわけである。
放蕩暮らしが、生の本質みたいなパパリンが、いくら可愛がっていても犬の為にそのライフスタイルを変えるわけがない。(弟のJや自分たちの過去を考えると犬如きで今更その生き様を変えられては困る)
かといって愛犬に対する責任感をばっさり切って捨てる程の「割り切り」もない人である。(これは犬に対する姿勢に限ったことではないが、、)残るのは「処置」ということなのだが、、、そんな事を自分で決められる人なら、自分の子どもに泣きついたりはしないのだ。
で困ったのはchikaである。ペットというのは、飼い主の「人間性」自体の投影なのだと理解出来る歳になっているから余計に厄介なのである。
少し前なら「車につんでどこかに捨ててきなよ。運がよければ誰かに拾ってもらえるし、のたれ死にするならするで、それがあの子の運命なんだからさ」とか簡単に言えたのに。
それこそ荒れていた頃なら「あんたが自分の勝手で飼い始めた犬なんだから、邪魔になったのなら、自分の手で殺しなよ。」とぐらいは言っていただろう。
少なくともchikaには普通の「良い人」がいうような「可哀想」っていう感覚はない、なかった筈だ。
ラブラドールの知能は三歳の子ども程度だと言われているけれど「三歳の子ども」自体ではない。そんな事を言い始めたら、生き物の肉は食べられなくなる。それに鯨は駄目で、鶏ならOKという理屈も理解出来ないし、、。
ただ、ペットと一緒に過ごした時間と空間だけは、どんな理屈でもチャラには出来ない。人はその間にペットに新たな人格を投与してしまうからだ。
ペットを殺すという事は自分の一部を殺すという事に他ならない。いずれそういった場面が来ることを予期できる器用(臆病な)な人は、その点について予め自分の中に予防線を張っておくようだ。
冒頭の板東さんの話はそういった類の話ではないかとおもう。家畜をとても身近に飼っていた昔の人々には、今してるような話なんてお笑いだと思うけれど、「今」は「今」なんだから仕方がない。
だって那賀川に住み着いてアゴヒゲアザラシ「ナカちゃん」が死んだニュースで、あるおばちゃんがインタビューに答えて「ナカちゃんの死を忘れません。忘れてなるもんですか!」とか、のうのうと言ってるような時代なんだから、、。
マスゴミの報道姿勢としては、「ほらご覧なさい.普通の善良な人々はこんな風に関わりの薄い動物にだって愛情や関心を示すんですよ。なのになんですか、最近の親殺し・子殺しは」ってな感じなんだろうけど、そりゃ違うだろって、まかり間違って日本なんてすっとぼけた国に漂着したアゴヒゲアザラシに「あなたのことを忘れてなるもんですか」と涙する感性は、「親殺し・子殺し」と同じ円の中にあるものだよ。
そういう円から飛び出たいっていうのが坂東眞砂子さんの根本的な動機じゃないのかなぁ。
・・・・ってな、ことはどーでもいいわけで、とりあえずどうする?実家のラブラドール君。

どーでもいいと言えばジョンベネちゃん事件のカー容疑者、案の定、刑事訴追を断念のニュース。
コロラド大の教授に送った電子メールの中で「(ジョンベネちゃんに)性的暴行を加えた後、血をなめた」なんてフレーズからして妄想大爆発って感じ見え見えだったけど、彼についてはこれ以上の二転三転はないと思うな。
「虚偽自白で世間の関心を集めることで、実生活で感じることのできなかった力を得たと錯覚」ってゆー専門家の分析が一番当を得てると思うし、それプラス彼自身の膨らみすぎた性ファンタジーのなせる技ってのが今回の騒動の中身じゃないかしら。
でもジョン・マーク・カー容疑者(41)の行動とマスコミ狂想曲の本質って、日本の未来を考えるとかなりの問題を含んでいると思うよ。

PS 昨日、ブログホイホイに捕獲されちゃいました。アクセスアップだけじゃなくて、けっこう面白いブログに出会えるから意外と使えるかもね。

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