saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

エスプレッソ

f:id:saienji:20131010083711g:plain

 エスプレッソが苦手だ。

 ちゃんと抽出されたものは、それなりに飲めるけれど、名前だけエスプレッソなんてのは泥水だと思う。
 そこに行くと普通のコーヒーはストライクゾーンが広い。
 まあどちらがいいかなんて、それこそ個人の好みの領域の飲み物なので、どーでもいいことなんだけどね。
 東京バンドワゴンについてはこの前、「これは大人のファンタジーなんだ」と書いたけど、今回第九話のエピソード見てて、更に撤回・・これで2回目の撤回なんだけど(笑)。
 大人のファンタジーなら、喉頭癌は登場しないよな、よしんば登場したとしても、もっと格好良い展開なんだろうと思う。

 このドラマでは「歌を選ぶ。」って、我南人は我がままにも勝手に決めちゃうし、青を始めとして堀田家の面々は、ある意味、我南人の生き方を認めちゃってるからその選択に反対が出来ない。
 で、来週当たりは、父親を亡くしたばかりのすずみが、入り嫁という自分の立場を利用して強引に「自分の身体を大切にしてください」って感じで我南人にねじ込んで視聴者の涙を絞りとるって感じなんだろうけど、、、ああこれって、大人のファンタジーに見せかけた人生のエスプレッソなんだって気がついた。
 我南人の「きよしこの夜」を聞きながら、何にも言わずに、泣きながらそれを聞いてる家族の表情のアップを見ながらそう思った。
 殆どの人間の人生は全然ドラマチックじゃないけれど、それは日常の生活の流れという「時」に希釈されているから。
 でも人が誕生する瞬間、人が結ばれる瞬間、死ぬ瞬間だけは、みんなドラマチックになる。生きている事が濃縮されて鮮明に浮かび上がる時だから。
 このドラマの手法って、その抽出を極端にやって並べていくから、ファンタジーのように見えるんだろうと思う。
 死を意識した我南人が3時間もかけて、幼い子どものために特殊メイクで羊男に変装するなんて、おおよそ現実にはありえない行動をとっても、それがドラマとしての欠陥に見えないのは、そういう仕組みだからなんだろうと気がついた。
 多くの人たちも、その人生を濃縮して見れれば、トンでもないことをしてるんじゃないだろうか?
 親になって子どもを育て上げる行為も、流行の「費用対効果」で言えば、羊男に変装する比じゃないほど馬鹿げているのに、人は喜々としてそれをやっている。そういう事なんだなって気がついた。

 で話は変わって「八重の桜」、今度は新島襄に代わってあんつぁまこと覚馬が死去。

 ほぼ1年間フル出場だったのに、新島襄の死去より、胸に迫るものが少なかったと思ったのはchikaだけかしら?
 物語上においても会津の頑固少女と世界を繋ぐ、重要な位置を占めた変革者精神に満ちたこの男の生涯が閉じられたというのに、、、。
 やっぱり、このドラマって、主人公・八重と歴史のうねりの繋がり、いや繋げ方をどこかで見失ったんだよなぁ。
 本当に何度も書いてるけど会津編までは、その殆どのパートを、歴史の流れに費やしながらも、ちゃんと八重が生きていたのに、京都編からは、八重を描きながらも八重が空回りするだけで、歴史も見えなくなり、、という始末。
 そりゃ思い出したように、今さら覚馬の死の前に、「会津」を持ち出しても、一旦切れてしまったラインはもう戻らないわな。

 本当に残念。
 上手くやっていれば、数あるNHK歴史大河ドラマの中でも秀作として数えられる一本になったと思うんだけどな。

f:id:saienji:20130905125030j:plain

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!