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ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

「八重の桜」 第38回 西南戦争

 「会津編では主人公八重と、歴史上に登場する偉人達の動きにリンクがなく、主人公の影が薄かった」と言う批判があるようですが、幾つかの大河ドラマのように、無理矢理主人公と歴史の流れを結びつけて話をおもしろおかしくする手法を平然と使うより余程ましだと思うし、八重の会津での生活や闘いがあっての京都編である事を考えると、構成としても実に辻褄の合った、しかも見応えのある会津編だったと思います。
 むしろ主人公と歴史上の動きがリンクしていないのは、現在の京都編ではないかと思います。
 脚本上の話の組み立てがどうという問題ではなくて、「眼差し」の問題なんです。
 会津編で描かれていた西郷隆盛と、今回の西南戦争で描かれている西郷隆盛とは明らかに違う。
 表面的には今回の隆盛の方が遥かに情感たっぷりに描かれているのに、そこには人間西郷は存在せず、何か「古いものを自分一人で背負って消えていく」人物だけを演出したいという制作側の欲だけが前に出てる感じ。
 これが会津編の「眼差し」で描かれていたなら、もっと押さえた演出ながらも、西郷の内面にひたひたと迫るような展開になっていたと思います。
 勿論、その分、八重の活躍場面は少なくなるのでしょうが、chika的に言わせてもらえば「そんなの今更どうなの?」って感じです。
 それにリンクの話に戻せば、八重の今回のエピソードと西南戦争とは、会津編以上にリンクしていないような気がします。まあ佐川官兵衞退場ステージとしての機能とか、覚馬辺りがいつものようにどうのこうのと喚いている位のもので。
 結局、歴史の流れに対する「眼差し」を失って、『八重』を描けば、こんな風に西南戦争も「そういえばそんな事がありましたよ」という一エピソードに比重が移って行く。

 武士の世界がこの時点で完全に日本から消失し、これからは新時代に向かわざるを得ない時代の流れの中で『八重』は、、って感じのプッシュが、今の制作体勢でどれぐらい力押し出来るのか?
 かなり疑問ですね。
 ってか、もうそんな事に重点は置かれていないんでしょうけど、でも「天地人」や「江」「平清盛」でボロボロになった大河を、今更「あまちゃん」にあやかって朝ドラ化してみても先はないと思うんですが、、。

 話はガラリと変わって、最近、妙に記憶に残ったのが「ヌーブラにヤモリくっついた」のフレーズ(笑)。
 ネット上で『..部屋干ししていたヌーブラにやもりが、びったりとくっついていました。Twitterで助けを求めたところ、たくさんの方々からお知恵をいただき、無事救出することができました。』てな内容が話題になってたんだけど、勿論、chikaが同じ目に遭ったとゆー話じゃない。
 単に「ヌーブラ」と「ヤモリ」ってchikaの中では相性がいいなぁってゆー、超個人的なとりとめもない話。
 まずヌーブラについてなんだけど、これは現在も大変お世話になってます。
 とは言っても一般女性が使うような使用方法ではなく、ピタピタボンデージを身につけて、しかも巨乳に変身する必要がある時とか、まあそんな感じですね。
 それと女装をし始めた頃にヌーブラがあったらとゆーのは今でもありますね。

 ブラジャーの下にパッドとか詰め物をしたり色々やるんですが、写真撮影の時に、パッド代わりに水を入れたゴム風船を入れた時が、衣服を着たときに、見た目、一番自然で、しかも気持ち良かったのを覚えてます。
 でもあくまで写真撮影の時だけしか使えないんですよね。ヌーブラは、まああれの実用的な完成型かと(水入りゴム風船の気持ち良さには叶いませんが、特に夏場はタップンタップン、ヒンヤリで気持ちいい)。
 それと、やもりなんですが、やもり、可愛いですね~。やもり自体が、やせっぽちの男の子にラバーを着せたみたいで(あっそんなことないか)。
 ヌーブラにやもり、chikaの中ではラバー・ラテックス繋がりでスゲー、親和力で結びついてます(笑)。
 あっそうそう、chikaの「激走!!まぼろしトラック」の中にも、ラバー製の全身やもりスーツを着た「やもり男」が登場します。

 こちらの方はヌーブラにくっついてしまって離れないってコトはありません(笑)。

 

 

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