saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

許容範囲

第42回 仮面ライダーフォーゼは「射・手・君・臨」。
「江本教授=ヴァルゴ=タチバナ」さんがお亡くなりになりました(合掌)。
って後で冷静に考えるとこの人物って一体何の為に、この物語に登場させられたのかよく判らないんですよね。
メティオを登場させる為に必要だったとか、賢吾ってキャラを動かすのに必要だったってのは判るんだけど、、、。
このママ、「弦太郎友情教の信徒になって最後を迎えた大人」って事で終わらせるんなら、はぁ〜って感じですよ。
ああ、それと賢吾と言えば「お前の父親を殺したのは私だ」とか、この江本さんにも告白されてるし、その前はガモー理事長にもそれっぽいことを言われてるのに、その件については未だに全然反応しないのね、、。
フツウのドラマ作りならそっちの方がメインでしょ、まあメインでないなら、せめて複線的に扱って欲しいんだけどね。
でもやってる事は相も変わらず、「友を信じる信じない」トラブルエピソードをこさえて弦太郎が最後に友情教でしめるってゆーエピソードの繰り返し。
まあ別に「友情」を扱うのが悪いって事じゃないんだけど、「友情」とか「絆」とかは日常的な人間の情動が描かれた上に機能する感情じゃない?
それだけを抜き取ってクローズアップして見せるのって、朝とかお昼にやってる情報バラエティ番組のなんでもかんでも「お涙・感動・極悪人批難」的味付けみたいなもんで、スカスカ感は否めないんだけど、、。
まあ、この中島カズキ運用とスピード感でいうと対極にあるような小林脚本なんかは、人物の日常的な関係性を描きすぎるから物語の起伏とそれがシンクロした時はスゲー面白いのに平坦状態では、「なーんだか退屈」って欠点もあるけどね。
基本、中島カズキ脚本はアニメ向きなんじゃないかな?
いくら仮面ライダーが基本、漫画フォーマットだって、演じてるのは生身の人間だから、画面からは予期しない色んな情報が視聴者に伝わってくるわけでさ。
例えばしつこいようだけど今までのタチバナさんのエピソード見てると、ヴァルゴの正体を現してからの「人間同士の繋がりや友情に絶望しきった大人」みたいなキャラとの間に、大きな齟齬があるんじゃない?
例えばタチバナさんが流星に仕掛けた「走れメロス」エピソードだとかさ。あれって完全に友情とか結束の力を信じてる人間の行動だよ。(脚本が違ってたのかな、調べる積もりないけど。だって他のエピソードだってタチバナさんって似たり寄ったりだったよ)
そーゆーのって視聴者の中で知らないうちに蓄積されるから(そうでないと逆に連ドラなんて作れない)、それをひっくり返すときはちゃんと計算しないと。
その場その場の面白さの連続なんて限界があるんだから。
見所バッカのハリウッド映画のジェットコースタームービーだって出来の良いのになると、ちゃんと主旋律になるものは残してあるもん。
メンインブラック3なんかも、あくまで「面白さ」が全面だけど、見終わった後、なんだかふあぁとした暖かいのは残るからね。
少なくとも一時間経ったら「さっきナニ見たんだっけ?面白かったような気はするんだけどなー」って首を捻るようなことはないよね。

って事で話は「平清盛」へ。
今回の内容はタイトル通りの義朝と清盛の「宿命の対決」(笑)。 突っ込み所は「なし」。
まあ特別、出来が良かったってワケでもなんでもないんだけど、長丁場の歴史大河ドラマなんだから、こーゆー史実からとうてい考えられないような大見得を切ったような演出のハイライト回があっていいんじゃんと。
最近の「平清盛」の出来なら、そこそこ許容できるはじけぷりかと。
これが昔のままでこんなのが登場したら「アホ・ボケ・カス」ってもんでしょうが(笑)。

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