saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

どうよ?


最近どうもTV関係のネタをブログで書くのは「・・・どうよ」って感じなのよねー、え?いつからって、それは大晦日から。
きっかけはズバリ言って、紅白歌合戦の長渕の歌なんだけど(笑)。
紅白ってどうあがいても娯楽番組だよね。少なくとも報道番組でも追悼番組でもないのは確か。
歌も娯楽メディアにのっかたら、本人が自分の中でどーゆー位置づけしても「娯楽」だよね。
娯楽だからアノ手の歌を歌うのが悪いなんて端から思っちゃいないけど、「娯楽」を何か違うもののように粉飾して、それをみんなして楽しむってのは好きじゃないんだよね。
ほら良く言うじゃない。口を開けば「(歌から)元気を貰いました」とか。バッカじゃない?元気って貰うもんじゃないでしょ。トカ。
門脇小学校の姿が闇の中から現れた時にはガツンと来ましたよ。
あれこそが厳然たる事実のモニュメントで「全て」を語ってた。
後は悪いけど長渕の歌なんてヘみたいなモンですよ。猿芝居。
思い入れだけが浮いて見えるばっかみたいな照明も寒々しいし。
でも、「震災を利用したナルシストの舞台」って、あの場面を非難する人もいるみたいだけどchikaはそこまでは思わないんだ。
長渕がギターを抱えてしばし沈黙した時も、失笑なんてしなかったし。 あーゆーのアリでしょ。あんな歌歌うのに変に照れられるよりよっぽどまし。
それによくも悪くも長渕って演技なしの本気の人だし、被災した人達に対してそれなりの関わりや活動してんだもん。
なーんもしないでこういう場面だけ「歌で力を。私には歌しか」みたいな事をサラってういー人間よりよっぽど出来が良いよ。
でも鎮魂歌を、ああゆー感じの演出込みで、製作スタッフの人間にステージこさえて貰って、紅白で歌ったら、その時点で、「祈り」じやなくやっぱ「やらせ」と同類の娯楽でしょ。
長渕の歌はメッセージとして成立したんやろうか?って表現を目指す者としては、凄く思う。
「元気をもらいました」フィルターの中にどんどん吸い込まれて感傷娯楽として消化されただけなんちゃうん。と思うわけ。
(まあ該当地で長渕と関わってきた人達や子ども達にとっては、更なるメッセージになったと思いたいんだけどね。)
更に「そんなことわかってら」って感じの計算とか、したたかさが長渕にあるとは思えないし。
だからさ、凄くやりきれない感じが見終わった後したわけ。行き場のないものを見せられちゃったなー。って。
でも一方で、ステージショーなんかでゴスペルを聴いてるとゾワーって鳥肌立っちゃう事もあってさ。こっちの方は一体なんなんだろう?って思ったりするわけ。
それはやっぱ、「歌としてタイムリーだとかない」とか、「誰かの為に」とか、そんなの全然関係のない所で、積み重なっていく人間の営みとしての「歌」の力なんかなぁ、、とか思ったりする。

って随分天の邪鬼な話を書きつつ、そろそろこのプププも更新せねばって感じで、よいしょってかけ声と共に更新じゃ。(遅すぎ、死んだと思われてるよキット)
で仮面ライダーフォーゼの方だけど、あれはホンと脚本の構成が鉄板ですわ。
仮面ライダーメテオが自分の親友を助ける為にフォーゼに近づいたり、メテオのボスがタチバナで、このタチバナが鉄仮面を付けて宇宙にいたり。
まあ普通の展開だとタチバナの正体は生死不明の賢吾の父親だったり、メテオも最後には弦太朗に心を開いたりするわけで、多分、そう視聴者が想像する範囲の7割方を実現させていきながら話を進めるとゆー手法。 うーむ、手堅いな〜、。
これは今までの平成ライダーにはない展開で、どちらかというと戦隊シリーズの後半から最終回に向けて盛り上げていく時によく採用されてた方法みたいな気がするんだけど。
ああそうか、人造人間キカイダーとかの昭和ライダー後期もそんな構成やってたかな?そういう意味では佐緒里ちゃんとかが何処かで触れてたみたいに、フォーゼってライダー回帰を目指しているのかもね。
今までの平成ライダーの世界観が余りにも尖りすぎて、しかも同時に横に広がっていっちゃったからね。
でもだからこそ、電王とか響鬼とか、普通だったらちょっとあり得ない特撮TVヒーローが生まれたワケで、、、あーもー。止めとここの話は(笑)。

で、日曜と言えば朝の仮面ライダーと夕べのNHK大河でしょう。
「江」さえ終われば、この黄金タッグが復活するのじゃと、ずーっと「坂雲」で堪え忍んで来たchikaには「平清盛」の新春スタートはそれこそお年玉でしたね。
「江」で耐えてきたら、次の大河は何でもかんでもよく見えますよ。ってゆーかアレより下の大河ドラマなんて作れんでしょ。
で「平清盛」の初回感想は、ケンイチ君がまだ登場していないので保留です。
マエダ兄弟が頑張ってて最近の子役ブームにカーブのかかった一石を投じてくれたのでそれはそれでプチ満足、イトウシローさんは危なげもなく妖怪じみた悪役をそつなくこなしてくれていますが、いつこちらを振り返って「ニンニンニキニキ」とかやらないか心配です(笑)。
初回視聴率が悪かったそうですがAKBがバカ売れするような市場指標なんて、なーんもドラマとしての評価とは関係ありましぇーん。
あと、あんな頼りないナレーションはいりません(きっぱり)。ナレーション担当の源義朝が「清盛を悪くゆーなー!」と妖怪人間ベラとみんなの前で叫んだときは、なんだか龍馬伝の出だしを思い出しました。
それに平安の武士が江戸の下士みたいな扱いで、こっちも龍馬伝にダブりまくり。
龍馬伝の上士下士の関係は歴史でちらっとお勉強したから納得して見てたんだけど、平安時代の武士ってこういう身分だったのかな〜?誰か教えてちょ)
いずれにしても、あんまし、龍馬伝は意識しない方が吉かと。
新しいリアル平安、リアル武士をうたうんだったら、演出や脚本も新しい視点持たないとね。
chika的には貴族の力の源泉とか、有り様みたいなものを何処かで説明しておかないと、武士の世界を平安に持ち込み始めた先駆者っていう捉えの清盛像が鮮明化出来ないんじゃないかと思うのね。
龍馬伝もその辺りをそこそこにして龍馬をスーパーヒーロー化した辺りがね、大河の名作に名乗りを上げる事が出来ない最大の要因だったんじゃないだろうかと。
今思えば決してシンガー福山雅治が龍馬をやった事って大きな問題じゃなかった思うってか、同じ構成で、結婚前の松山ケンイチがやってたら、準主役の役者さんのパワーだけが空回りして番組自体「華」もなければ「実」もないって事になってたでしょうしね。
第二回に期待します。

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