saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

坂の上の雲 「敵艦見ゆ」

真之が「敵艦見ゆ、二〇三地点」の情報を得て、今までやっていた朝の体操が一瞬凍り付き、喜びの手踊りにスイッチするシーンは、お見事っ!て感じでしたね。これは演出の勝利、それとモックンならではって所でしょうか。

原作を読んだことが相乗効果となって映像ドラマ化されたものが二度美味しい・・なんてことは滅多にないのだれど、今回ばかりはそういう意味でも堪能させてもらいました。
ブラボーってか、これは一種の快感ですね。
だってドラマでの10分の経過は司馬先生の原作をどんだけ読まんといけんか、(笑)。
いやこれは嫌みで書いてるんじゃなくて、ホントに今回は原作読んでて本当に良かったと思います、
ひょっとしたら制作サイドも「これを見てる視聴者ならきっと司馬文学を読んでいるに違いない」との前提の上でドラマを作っているんじゃないかと思えるくらいです。
湯葉みたいなもんですね。しかも老舗の名店が作った極上の湯葉。
ロシア艦隊の辛苦の大航行だけで原作では1冊の本になっちゃってる所が、テレビじゃあっと言う間に日本に近づいちゃうし、真之の「敵はどっちから来るんじゃ?」の胃痛の原因も、原作では延々と語られるんですが、ドラマでは東郷の一言で一発解決、「来るから来るんじゃ」っておいおい。
いやこう書くと又、嫌みに見えるんだけど、このドラマ化での濃縮度というか上澄みをすくう感というか、いやホントにこのドラマ、司馬文学で作った上質の湯葉なんですって。
映画版ガンツも原作漫画を読んでる子からその感想を聞いたら、なんだか上に書いたような事を言ってました。
ガンツの場合は。まあどちらかと言うと否定的な言い方だったんですけどね。
chikaは、漫画読まずに映画だけを見てそれなりに楽しんだので、何とも言えませんが。
、でも逆に、「坂・雲」の原作読まないで、今回のエピソード見たら、なんだか壮大な歴史ドラマをダイジェスト見てる感じで、余り奥行きを感じないんだろうな(特にドラマでは乃木大将からの応援要請を断る本部のシーンだとかそれを受ける乃木だとか、その背景が判って見てるとかなり濃い描写を「さりげに演出」という離れ業をやってます。)とは想像しますが。
所で、好古の人間的格好良さは、ドラマでは俳優阿部寛のかっこよさに変換されていましたね。
苦戦続きの日本陸軍の中で、珍しく胸のすくような活躍を続ける秋山騎兵師団とダンディ好古、司馬先生、乃木さんの事、あんなにぼろかすに書いてるくせに、なんで好古を、こんなに恰好良く書くの?って原作読みながら思ってましたが、ドラマではそれが長身外人顔の阿部ちゃんのかっこよさに変換されていました(笑)。
このドラマが始まった時には、正直言って好古に起用した阿部ちゃんに若干の違和感を感じていたのですが、今となっては大納得。
阿部ちゃんってどんなシリアス人物演じても、どこかファーンとした優しげなオーラが漏れ出る人なんですが、それが「俺は大豪傑を演じてる普通の人間だ」と思いこんでる大豪傑好古と見事にシンクロしてる。
でも、もうちょっと好古の活躍してるエピソードを入れて欲しかったなぁと。
なーんか第三部の前半の主役は高橋桃太郎じゃないかと思っちゃった程ですからね(実は原作もそうなんだけど)。
乃木なんて原作では、情緒もへったくれもない辛口の人物評付きでフェードアウトさせられてますが、ドラマでは柄本明が実に良い表情で奉天を眺めてたんだからね(笑)。
しかし今回、赤井英和さんの「鈴木貫太郎」は、見事にはずれでしたな。
特に前半の台詞回しが「どついたるねん風」であやしい。なんであんたが明治時代のここにいるの?アリさんの引っ越し?って違和感感じるほど。
逆に言えば他の役者さん達が、この「坂の上の雲」ではいかに役作りしてたてか、熱演してたかって事の明かしなんですけどね。
同じチョイでもダンカンの伊地知彦次郎なんか、それなりにそれなりに見えたしなぁ。

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