saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

「宇宙の渚」から見る雷

休憩の合間に偶然、NHK「世界初中継 宇宙の渚」の一部を見た。
高度数十〜数百キロにある宇宙と空の狭間から見える地球の様々な姿が映し出されていたけど、一番、ビックリしたのが「雷」の様子だった。
地上にいると雷は「落ちる」ものだけど、この高度で見ると雲さえ遙か眼下に見えるので「雷」の様子は、雲自体が腹の下で発光しているように見える。
この光景を理屈で後追いしてみると「なる程な」とは思うのだけれど、実際に肉眼で見るとかなり驚いてしまう。
人間に「神聖さ」を感じさせる自然の姿はいくつかあるけれど、これもそのウチの一つだろう。
もう一つの奇妙な感想は、「これってなんだかSF映画の一場面を見てるみたい」というもの。
昔から倒置の代表例として「絵葉書の写真みたいに綺麗な風景」という言葉があるけれどこれは「SF映画の一場面みたいに不思議で神々しい光景」ってことになるのか。

話は変わって一昔前に「ゲームで育った世代は、人間は生き返るものと思いこんでいる節があってそれが理解不能の犯罪を誘発させている」という考えがあった。
なんだか底の浅い考えのように思えてchikaはこの考え方を当時から信用していなかったけれど、だからと言って表現媒体が人間の精神に及ぼす力を軽く見ているわけではない。
特に映像媒体の精神に及ぼす影響力はかなりのものだろうと思う。
そして映像はCGなどの発達によって日々進化を続ける。
現在では映画などのアクションシーン一つを取ってみても一昔前なら「こんなの現実ではありえねーだろう」というアクションが、今では、いかにも自然に見える。
(勿論、いくら自然に見えても実際には絶対にあり得ない動作であることは今も昔も変わりない。それは世界陸上でボルトが走りで新世界に突入しても同じ事だ。)
何千発の銃弾の中で主人公がかすり傷だけで生き延びる不自然さよりも、ねつ造された銃撃戦のリアルさが上回るわけだし、間一髪のタイミングで繰り広げられる大ジャンプの脱出シーンは、綿密に計算され尽くしたタイムスケジュールとカット割りでいかにも自然に、あるいは主人公の意思の力で行われたように見える。
まさに映像の中では、説得力を持ってリアルな生身のアンデッド超人が成立するのである。
そしておそらくこういった人工的な「説得力」は、映像の世界で終始するのではなく、ありとあらゆる媒体分野で生まれ育ち、人々を包囲する。
そして人々は変わる。
そして幻想は続く。
自らが少し知能程度の高い動物に過ぎない事を徹底的に思い知らされる出来事が起こるまでは。



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