saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

癒されましたか?

山口県光市・母子殺害事件の差し戻し控訴審判決について・・・まあ思うところは色々あるのだけれど、chikaのブログ程度でチャラチャラ書くのも恥ずかしく、、、周辺の諸々の感想だけを。
って事で気になったのは.本村洋さんの会見の中で「この死刑判決が出て本村さんは癒されましたか?」 と言う女性記者の質問。
 こうして文字図らだけをなぞってみると、ちょっと考えないとその違和感が分かり難いんだけど、相手を詰るようなややヒステリックな口調で本村さんにぶつけられたこの質問、、聞いていて凄く嫌な気分になった。
 もっと言うと腹立たしささえ感じたんだけど、その怒りが何から始まっているのか自分でもうまく整理出来ないのね。
当の本村さんは実に大人な対応をしてらしたので、外野がどうとかいう事ではないんだろうけど。
でもマスゴミのゴミたる由縁がこの質問にあるような気がしてならないわけよ。
「癒し」って言葉が悪いのかも知れないのだけれど、本村さんが「癒し」を求める為に9年間を闘って(これからも背負って)こられた訳じゃないだろうって事は、素人だって容易に自分の生活体験等から類推・想像が付くわけで、それをこーゆー場面で簡単にしかも自分自身では「ジャーナリストとして的確な質問」という自負をもって相手にぶつけられるといーこと自身が「シンジラレナーイ」わけ。
第一「犯罪」って相手への共感能力ちゅーか、人間への想像力が欠如した所に生まれるわけでしょ。この質問って、、犯罪属性あるんじゃない?
こういう特化してしまった感性というか使命感というか価値観って、この裁判でクローズアップされた弁護団の遣り口とどこか共通してるよねって思うのはchikaだけやろか?
あっ内容については触れないって書いたのにもう・・・。
 でもさ「死刑のハードルが低く」論については本村さんが、それこそ被害者側の「当事者」として的確な方向性を示唆してるけど、こーゆーのへの待望論って不思議と他の要因でバランスが働いて来るんじゃないかとも思うわけ。
例えば最近「人を殺せば死刑にして貰えると思ったから殺した。相手は誰でも良かった」みたいな事件が増えてるじゃん。
chikaなんかは「そんなら誰にもめーわくかからない場所で勝手に(自分殺人・・自殺ですらない)して死ねば、根性なし」とか速攻で思っちゃうんだけど、こんな自己中・極限者の犯罪に対する憤りみたいなのが背景として大衆に蔓延した上で「そんな奴は死刑!」みたいな圧力がバランスとして優勢になるわけでしょ。
まあこんな奴らは今後益々増え続けるだろうから、死刑のハードルが低くなると、余計に犯罪が増えるんじゃないかって議論もあるだろうし、その他諸々ね、、、でも世論が形成するバランス感覚って凄く動物的で理論的な展望なんて含む余地もってないからね。それにそれは「いいとか悪い」という前に形成されてしまうものだし。
そーゆーのを調整していく役目もメディアにはあると思うんだけど、そのメディアが「この死刑判決が出て本村さんは癒されましたか?」だからねぇ。

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