saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

THE LAND OF PLENTY

化粧品をプロデュースするようなカリスマニューハーフでもなく、女子高生のコスプレをして現役で通るような若さもないchikaのブログ。
それでも何人かの皆様方にブックマークして頂いているようで恐縮してます。時々、chikaの紹介文を読むと「切れ味のある問題提起」だとかの記述があったりして穴があった突っ込んで欲しい、、じゃなくて入りたいです(笑)。
だって最近のchikaの書くものと言ったらテレビドラマの感想文か、どこそこに遊びに行ったという類のものばかり。政治や国際情勢に関わるようなことなど書いたことがありませんもの。
ネット上で長くお付き合いさせて頂いている方によるとその傾向はイラク戦争以降に凄く強くなっているそうです。
確かにあれ以降、政治的な意見を発信すること自体に脱力感を感じている部分がありますね。それとブッシュの再選に引き続いて小泉体制の続投を日本国民が選んだ時点で、もうどーでもいいやと、、、。もっと言えば居直りサヨ・ウヨ系の泥仕合にもうんざりみたいな。

つい最近映画ヴィム・ヴェンダース監督の「ランド・オブ・プレンティ」を見ました。
アメリカで生まれたラナは、両親とともにアフリカからイスラエルへと移り住み、数年後、牧師であった父と母の死を契機に、残されたたった一人の肉親である叔父ポールに会うために飛行機で帰国します。一方、伯父・ポールは、9・11以後、ベトナム戦争後遺症がぶり返し、私的なテロ防衛活動に専念してるというのがこの映画の設定です。
つまりヴェンダース監督はこの設定と彼の得意とするロードムービーの映画手法で「9.11以降」を、もう一度捉え直そうとしたわけです。本作がたった16日間で少人数クルーによって撮られたことに大きな意味を感じています。

現在、ブッシュ政権の支持率が36%に落ち込み、イラク戦争に国民の過半数が反対している現状で、この映画を見ていると、自分自身の世界に対する意識のありようをもう一度考え直してみようかという気になります。
この映画の主人公達が最後にグラウンド・ゼロに行き着きながら「今はただ耳を澄ませてその声をきこう」と言った言葉と同じ思いです。
映画タイトルはレナード・コーエンの「THE LAND OF PLENTY」からつけられたそうです。映画の中でもグラウンド・ゼロを前にした二人の心情を語るクライマックスの部分で上手く使われています。


僕が立っていなければいけないところに
立つ勇気がない
救いの手を差し伸べる気質も
持ち合わせていない

誰が僕をここに遣わしたのか分からない
声を上げて祈るようにー
この豊かな国の光がいつの日か
真実を照らしだすように

「この豊かな国の光」の一節をヴィムはラナとポールのアメリカ横断の道行きの中で描写してみせます。 
ただその道行きの動機はそれぞれ異なります。アラブ系のホームレスが殺される現場に居合わせた為に、二人は再会するのですが、ラナはその遺体を残された兄ジョーに届けるために、ポールは事件の真相を突き止めるために旅に出るのです。
二人の住むロサンジェルスからモハヴェ砂漠の田舎町トロナを経て、ニューヨークのツインタワーの跡地まで・・・。
この旅で失われた自分を探し当てたのは「誇り高き自由の地アメリカ」を一人でテロから守ろうとしていたベトナム帰還兵の伯父ポールでした。

2000年11月、国連総会で「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」(国連国際組織犯罪条約)が採択され、日本もそれに署名したそうです。
 これを受けて国内法の整備が唱えられも提案されたのが今問題になっている「共謀罪」なんだとか。
前国会では、国際的な組織犯罪集団の取締りを目的とした「犯罪の国際化及び組織化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」として提出されたものの、衆議院解散とともに廃案となりましたが、当然のごとく現在再提案されています。

日本は不思議な国だと思います。確たる根拠もなく不戦の誓いを国としてたて、まがりなりにも戦後数十年をそのスタイルで生き延び、アメリカに追随するも、実際のテロ行為には遭遇せず、今日まで来ました。
明日もそうである可能性など何処にもないけれど、アメリカを追いかけながら「強い国ニッポン」になろうと、国民に負担をかけながら、憲法改正などあてどもない体質改善にやっきになっています。
なぜそうなって行くのか、誰がそう望むのか。我々はこの世の中には映画や物語に登場するような「絶対悪」という存在がありえないことを知っています。けれど逆に我々の想像の範疇を越える「相対悪」とその結果がいくつもある事も知っています。
だから「なぜそうなって行くのか、誰がそう望むのか。」という苦しい問いかけをせざるを得ないのでしょう。

ヴェンダース監督はこの映画のことを「反アメリカ映画ではなく、あふれかえる混乱や痛みに立ち向おうとする試みで、不正や欺瞞、人を迷わせる愛国主義、誤った情報の操作といったものをこの映画では扱っている。」と語っていますが、「あふれかえる混乱や痛み」は程度や質の差はあれ今の日本にも共通したものでしょう。
そしてヴィムは「9・11のテロは衝撃だった。価値観がガラガラと崩れるのを感じ、〈人生が変わるな〉と呟いたものだ。その後〈自由〉〈民主主義〉〈愛国心〉といった言葉がインフレのように飛び交った。だからこそ当時アメリカで関心があったものをすべて取り込もうと躍起になった。つまり、貧困とパラノイアと愛国心だ」と語っています。
貧困・パラノイア・愛国心のキーワードはアメリカだけのものではなく、位相こそ違え、この国でも今後非常に大きな課題となってのしかかってくる問題だと思います。

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!