saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

くの一さんの自爆テロ作戦

戦国自衛隊・関ヶ原の戦い」第二部を見る。前回の終わり方だと結局「だれのために戦うのか」みたいな戦争ロマンに話が変質してしまいそうで、時代間における文化衝突みたいなものは描かないのかと思っていたのだけれど小早川秀秋藤原竜也)を筆頭に、どちらかと言うと過去の人間が未来の人間にものを教えてやる感じでちゃんと展開してました。
(後で知ったんだけど後編にあたるこの第二部は、昭和54年上映の“初代”戦国自衛隊で監督をつとめた斎藤光正がメガホンをとっているのだとか、どうりで、、。)
「女」は政略の道具だと自覚してるとか、国のためには個人の価値など意味がないとか、伊庭の方が教えられていましたね、形勢的には、、。
小早川秀秋が一度だけ戦乱の世を鎮める方法として「未来」を、伊庭に聞く場面がありましたがそれ以外は終始過去の人間が優位。逆に現代人である自衛隊員の方が過去に対して投げかけられるものがなくて、その辺りがストーリーとしても物足りないというか、、。
で一体この自衛隊たちは何のために過去に飛ばされたのかが、一切不明なままで終わっちゃいました。
圧倒的な近代兵器の火力をもってして戦局を大いに左右するのかといえばそうでもなく、くの一さんの自爆テロ作戦(このシーン、時節柄、ちょっとドキッとしました)で軍用ヘリはあっさり爆破されちゃうし、、。
もっと判らないのが伊庭の立場、絶対中立を貫くのかと思えばちょくちょく人を殺してみたり、最後には石田三成に変身した嶋村隊長を救出に行くと決断するのにだれも助けられないし、一番よく理解できなかったのが徳川家康の手勢の者に可愛がっていた少女を殺されたのに、わざわざ、その死体を小早川秀秋の元に持っていって、「これはお前がやったことだ」って叫くシーン。
確かにこの言いぐさ論理的にはあってるし、脚本上は小早川秀秋の裏切り行為を正当化して行く仕掛なんだけど、普通は、やっぱ怒り心頭に発して、徳川軍にバズーカ砲をぶっ放すよなぁ。
このドラマで一番判りやすかったのは結局小早川秀秋徳川家康だけだったりする。前にも書いたけど津川雅彦の狸ぶりは凄いし、藤原竜也の「おめぇ三成に全然似てねぇジャン。」のハイテンションぶりもスキスキ、、目尻のメイクが大衆演劇の女形だったしぃ。
でも要所要所でかなりイイ線行くドラマなのに、微妙にちぐはぐな作品でしたねぇ。まあそのちぐはぐさの結晶は生き残ったのがサトエリ一人ってゆー結末にも現れてるんだけど。「歴史は一体俺たちに何をさせようとしているのか?」この脚本じゃさっぱり判らないよなぁ、、。

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