仮面ライダージオウと西郷どん EP05~09(大雑把w)
ここを放棄したのではないので、短いけれど記事を投入しときます(笑)。
仮面ライダージオウは一応、気が向いたら録画を見てる状況ですね。
もうあまり、リアルライブ試聴に拘るような魅力はなくなったみたい。
次はどうなるんだろうっていうハラドキ感とか、ライダー世界の創造に視聴者として一緒に立ち会ってるライブ感とか、もうありませんもんね。
まあ言い換えれば、放っておいても、ちゃんと展開してるだろうという安定感が今のライダーシリーズにはあるって事なんですが。
ジオウ、このシナリオ、いかに過去のライダーを、今現在の主人公達の物語に取り込むかの工夫がメインになっているみたいですね。
そういう意味ではディケイドより、毎回の脚本を書くのに頭使ってるみたい。
ジオウと比べられる、ディケイドの方は、実をいうと脚本展開自体良く憶えてないんですよね。
あれ旧ライダーを、主人公の流れに取り込む方法が無茶苦茶だったから。
なにが「通りすがりのライダーだよ」(笑)。
未だにディケイドの最後辺りの展開は、意味不明だったと思ってるし、そういう点ではジオウの方がずっと筋運びの辻褄が合ってる。
だからと言ってジオウの脚本が面白いと言ってるわけじゃないんですけどね。
まあジオウ見てて、何時も思うのは、過去ライダーを大切に(役者さんも含めて)扱って欲しいということかな。
それ以上もそれ以下もジオウには今の所、期待感はなし。
この先、予想外にも話が盛り上がってきたら、前みたいに記事として取り上げていくつもりだけど、、。
それよか「西郷どん」だな。
「西郷どん」って、なんであんなに放映回によって出来不出来の差が出るんだろう?
やっぱり監督の演出によるのかな?
最近の明治維新前後の話ってすっごくいい(あくまで比較論だけど)。
今までの大河だと、この辺りのレベルが、平均値で最終回前あたりで神回がポンポンとでる感じだったんだけど、「西郷どん」の場合は、前半の余計すぎるアホ視聴者サービス演出がすげー無駄だったな。
慶喜像なんかも前半のアホみたいな「ヒー様演出」やったから、途中で人物がむりくり捻れちゃったし、松田翔太君も可哀想。
遠山の金さん的ヒー様やった後で、一生懸命やったって、将軍になってからの慶喜って「変」って風にしか見えないもんね。
ヒー様慶喜とラストエンペラー慶喜が、どうやったて一本の線になるわけないだろ。
その点、大久保利通に当てられた瑛太さんは得をしたというか、一蔵だけは、何故か最初から最後まで、今までの大河ドラマのメインキャストらしい話の流れにいたからね。
ほんと一蔵だけは、一切のいじり無し。
そこに瑛太さんの演技力が加わって盤石って感じ。
帰ってきたNHK大河ドラマ、「大久保利通」(笑)。
でもすっごく伸びたっていえばやっぱり主役の鈴木亮平君でしょ。
最近の鈴木亮平君を見てると、西郷どん自身にしか見えないのよね。
あれは脚本の出来とか、演出なんてもんじゃないね。
かといっていわゆる並の憑依型演技とも違うし。
若手のポッと出の俳優さんがライダーにでて、1年経つとそれなりに目鼻が付くアレ版の、スッゲーの見てるみたいで、時々鳥肌が立っちゃう。