仮面ライダービルド 第43話 「もう一人のビルド」
今回のエピを見ていて、古ーい言葉なんですが「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」というのを思い出しました。
その意味は『獅子は生まれたばかりの子を深い谷に落とし、這い上がってきた生命力の高い子供のみを育てるという言い伝えの「獅子の子落とし」より転じて、本当に深い愛情をもつ相手にわざと試練を与えて成長させること、またはそのようにして成長させるべきであるという考えを意味する語。』って事なんですが、めっちゃ古くさい概念故に、現在ではかえってユニーク、あるいはネタ化出来るレベルまで熟成しちゃってるのかな?って思ったり。
もしかして、それ使ってる?
悪知恵の働く悪魔みたいなエボルトと対抗するには、それくらいの深謀と子どもに対する強い信頼がないと駄目みたいな。
あっ、勿論、葛城忍の事ですけど、、、でも、そうなら、凄いベタだなと。
アイデアが枯渇して米びつの底には「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」みたいなのしか残って無かったんかい?みたいな。
いや意外でしたね。
こういうのを持ち出して来るとは、内海君の外し方をみてたら、もっとやるもんだと思ってたんですが。
この調子だとやっぱ内海君も最後の最後には「良い人」で終わるんだろうな、、。その思いは確信に変わりつつあります。
(一方、下手すると内海君ってこのまま使い捨ての可能性も、って気もしてるw)
ああそれと今回、猿渡一海の武田航平君が良かったなー。
何処がどうって上手く言えないんだけど、武田君の素の演技見たって気がした。
ずっと思ってたんだけど、猿渡一海のキャラってやっぱり武田航平君には合ってないと思うんだよね。
そこは俳優さんだから、キャラにちゃんと寄せていたけどさ。
武田航平君の魅力が浮き出るようなキャラじゃないのね猿渡一海って。
てかビルドの場合、猿渡一海に限らず全てのキャラは、よく見ると人間じゃなくて「良く動く面白い駒」だって事は昔から言ってきた事なんだけど、こうやってふとした弾みに、人間らしい生の息づかいを感じさせる演技がポロって出てくると、それ凄く改めて感じちゃうんだよね。
だからある意味、若手の俳優さん達が、キャラに寄せて一生懸命演技をすればする程、なんだか可愛そうになっちゃう。
美空なんか、特にそうじゃない。
時々、そんなに感情を込めて芝居がかった演技しなくてもって思うんだけど、こういう脚本渡されて、他に演技なんかしようがないと思うのね、、。