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ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

真田丸 第50回 最終話

 歴史大河の最終回で、大泣きできないのは三谷脚本だから、と言う結論でOK?
 ただしこれは、批判や悪口じゃありません。
 三谷氏は、やはり喜劇作家だと思うのだけれど、彼の喜劇は悲劇と裏表で、哀しさが多い分量だけ、おかしみが多いという構造になっているんだと思います。
 氏の天の邪鬼な性格というより、おそらく、生来の反応なのではと思います。
 だから悲劇の反転も、強いメッセージ性を帯びているわけでもなく、ともすれば悲劇的状況の中で悲劇の特有の悲壮感や甘さに浸って滅んでいく美学に溺れたい人間には、三谷作品は「調子の狂った」感じとして目に映る。
 何を隠そう、chika自身がそうなんです。
 ただ過去に「新撰組!」と1年間付き合い、その後、何本かの三谷脚本の映画を見てきたから、ようやく三谷脚本の喜劇性の特質に気がつくようになった。
 まあ、その特質は他のドラマを鑑賞する上では、余り意味のない発見だけど、生きていく上では、少しは覚えておいた方が便利かも知れませんね。
 うろ覚えなのだけれど、外国のショービジネスに関わるある有名人物が語った言「貴方は(どんな悲劇に見舞われようと)人生を楽しまねばならない」風な、言葉を強く思い出します。
 信繁の最期の場面で彼が佐助に、「お前いくつになった?」といったやりとりでワザと自害シーンにおける緊張の連続を切るあたりは、「新撰組!」で近藤勇切腹したシーンのカット割りに比べて、三谷氏は、「悲劇としての物語を喜劇で壊す」という手法をより過激化させてるなぁと思いました。

 でも、かといって悲劇の正当性を軽んじている訳でもないから、信繁はやはり空を仰いで最後を迎えるんですよね。
 決して品のないギャグコメディで幕を閉じるのではない。つまり「貴方は人生を楽しまねばならない」、笑。

 とまあ、此処までは最終回に対する大まかな個人的評価と言うか、感想なんだけど、この最終回も細かく言えばいろいろありますね。
 特に、幸村と家康の対決シーンとか、見てて、「先を見ろ、時代を見ろ」と言う家康に対して、そんなことは「百も承知だ」と言いながら突貫する幸村、「アレ?三谷さんてこんな台詞を主人公に言わせる人だっけ」という感じが、強くしました。
 他の脚本家なら、こんな戦闘中に長台詞と感動説明をやるアニメチックな展開を惜しげもなくやるし、又、それが似合うんだけど、三谷さんはなぁ、、似合わない、、、って感じ。
 三谷さんの切れ味は、コメディタッチのとぎれた静寂の中に、今回の三十郎の涙の絶叫みたいなのをサラリと混ぜ込む所なんだと思うけどなぁ。
 それとか、、、うーん、三谷氏の脚本は、ネタ的に拾う所が多すぎて、感想書いても散漫になるから、これ以上、書きません(笑)。

 

 でも最後に、「真田丸」って、テレビドラマとSNSというかネットとの関係性を明確に浮き彫りにした作品であるという意味では、実に大きな一本でしたね。

 しかもそれがNHKの歴史大河ドラマだったいう事実が更に、大きい。
 この事を、評論家的に分析したり説明したりする人達が、今後、出てくるんだろうけど、こればかりは、見る人間の熱量の問題がどう推移していくかの話だから「論」を立てても仕方がないですね。
 でもまあ、「真田丸」は、NHK歴史大河という一つの様式に、引導を渡した形になったかも知れませんね。

 

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