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saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

仮面ライダー鎧武 第45話「運命の二人 最終バトル!」

 今回、一番引っ掛かちゃったのは、戒斗が舞と耀子のそれぞれに言った台詞。

 舞と黄金の果実は別けられなくて、でも耀子は耀子だって台詞ね。これ意味自体が分かんないんだけど、よーするに戒斗にとって舞は本命のオンナだけど耀子は「悪いがお前が勝手にオレに惚れたんだろ・・」って話なの?(笑)

 でもって息を引き取る前の耀子の台詞が「あんたって不器用な人」・・まるで演歌の世界だね。戒斗じゃなくて虚淵玄氏の頭の中が不器用なんだよ(笑)。
 で肝心の話の方なんだけど、例によってちょっと考えると矛盾だらけのズタズタ、、でもライダーの場合は、そこんとこ熱血とアクションの勢いで突破が可能なんだよね。

 特に最終回前なんて視聴者の方が勝手になんとか持っていってくれるし(笑)。(今回のザックの「お間抜け戒斗爆殺計画」はちょっとムリだろうけど)
 でも虚淵脚本の場合は、そこんとこ「勢い」でダーッってやるワケじゃなく、訳分かんない独自理論で持って溢れんばかりの台詞連発で、なんか、さも辻褄が合ってそうな「今、世界を変える最終決戦が始まってるんだよー!」みたいな図々しい押しでやって来るんだよね。
 そうそうchikaは時々、某特撮○○アンチスレを覗きに行くことがあるんだけど鎧武の場合はその伸び方とかバッシングが今までの仮面ライダー作品のどれより凄いのね。

 これって一体何なんだろう?って思うんだけど、多分、虚淵脚本の臭みに由来してるんだろうね。

 chikaも何度か書いてきてるけど虚淵脚本って同人小説ってか私小説みたいな臭いがあるのね。

 プロが娯楽を獲りに行くために自分2割・計算8割で四苦八苦しながら脚本書くのに、なんだかそこんとこ自分8割・計算2割みたいな仕事ぶり(あるいはそう見えてしまう仕事ぶり)に拒否感を感じるんじゃないかしら。

 もっと言い方を変えると、人間同士の関係なんかだと、その間にはそれぞれの立場や遠慮とかそれこそ色々なモノが挟まってるから、中々、相手の「生の心」と直接触れ合う事ってないよね。

 そーゆーのを人間関係が希薄っていう人もいるけど、それは限度問題で、そうゆー「間に挟まったモノ」が完全になくて、常に他人の「生の心」と接触してたら、生臭くてしんどくてたまんないよ。

 そりゃその相手が神様に近いような偉大な人物なら、その「生の心」に触れるのもいいけど、そんな人間滅多にいないよね(笑)。 脚本を書くってのはその「間にあるもの」を希釈したり、上手く他のモノに変換しながら、「美味しい心」「感動する心」とかにして相手に与える行為じゃないかしら。

 演劇とか映像とかは心同士のコンタクトツールとしては凄く強力なものだから、上手く使うと、日常では普段感じられない感動だって作り出すことが出来る。

 でもそうゆー事を意識しないで、自分の生の心をそのこの強力なコンタクトツールに乗っけたら、、それと波長が会う人は面白いかも知れないけど、そうでない人は凄い拒否感や嫌悪感を感じるよね。
「誰それの作家さんが好きだから彼の書いた私小説を読む。」これは普通。元からそーゆーのが嫌いな人はソレを読まない。
「余り好きじゃなかった作家さんの娯楽小説をたまたま読んでみたら意外と面白かった」これも普通。娯楽として楽しめたんだから大いにOK。

 でも、いつものように「仮面ライダー」とゆー一つのブランドを楽しもうと思ってチャンネルを合わせてみたら、なんだか入信した覚えもない特撮アクション付きのアホダラ経を延々と聞かされたら、それにムカッと来るのは不自然じゃないよね。

 「やかましいんじゃー!お前がそう思っててもオレは違うんじゃボケ!いつまで、しょーむない事をご大層にグダグダゆーとるんじゃ」って思わず言わせてしまう何かが虚淵脚本にはある(笑)。
 chikaは虚淵氏が関わってるアニメの「サイコパス」が好きなんだけど、この作品ってバンドが凄く狭いなってよく思う。

 グダグダ、文学作品やら何やら蘊蓄広げまくって粉飾してるけど、ストーリー自体はスキモノなら誰でも書ける程度の並のSF、テーマと世界観に肌が合わなかったらアウト、、どんな人間が見ても作品世界に引き込んだ上、その心を射抜くなんてパワーはない。
 でもたまたまこの時代のニッチなニーズにヒットする部分があるから成立してる。それは全然悪い事じゃない。

 でもさ、それでもって「事象としての虚淵玄」を「仮面ライダー」に持ち込んだのは企画側の失敗じゃなかったの?
 言い換えると「虚淵玄にこれ以上どうしろってゆーのさ?」って話まで仮面ライダー鎧武は来ちゃったって事かな。
 打ちのめされて廃人と化したミッチの元に現れた貴虎幻影の口振りが、生前の貴虎兄の口調に戻っていた描写なんかはミッチ回復の予兆を感じさせて上手いなと思うんだけど、こーゆー手法が虚淵脚本の場合、作品のコアに上手く結びついていなくて散らばったままなのね。

 なんで散らばったままなのか?それ以上に書きたい大きな事があるからなんだろうけど、問題はソレを視聴者はそんなに求めていないって事なんだよね。

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