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saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

仮面ライダー鎧武 第41話 「激突!オーバーロードの王」

 偽物の黄金の果実を掴まされキレたレデュエが、ロシュオをなぶり殺しにするシーンはレデュエのまき散らす、汚い言葉も含め、暴力の快感欲求を刺激して見応えがありましたなぁ、さすが虚淵脚本。

 しかもその様子を見ていて興奮しちゃった紘汰が「お前みたいなヤツは、俺がたたきつぶす!」とか言っちゃって、極アームズで殺戮の喜びにその身を浸し、、、って違うか、違うんだよね(笑)。
 それにこんなシーン、鎧武関連の玩具やTシャツを買うような小さな子ども達には見せたくないよねってか、見せるべきじゃないだろ。
 仮面ライダークウガにおける「クウガvsダグバ」の雪原の壮絶な殴り合いシーンも、あれ単独では、いくら演技力のある俳優さんがやったとしても子どもに見せられるものじゃないけど、少なくとも、この場面に辿り着くまでのエピソードで、どれだけの「正義」「やさしさ」「暴力」「力」に付いての判りやすい考察が、作品内で積み重ねられていた事か。

 毎週、クウガを見ていた子どもなら、このエピソードが単純な殴り合いではない事を、多少は感じていたのではないだろうかと思う。
 そういう視点で見ると鎧武は完全失格。
 第一、クウガのような普段からの積み重ねがない以上に、この回を、単独で見ても辻褄があわなすぎ、ロシュオとそんなに交流があるとも思えない紘汰が仇を討つみたいな感じでレデュエを攻撃しはじめるシーンとかね。
 多分、虚淵的には、「紘汰は十分レデュエの醜さを思い知らされているし、ロシュオと闘う中でロシュオの真意を感じ取りある意味その存在を認めはじめていたから、」とかの、そういった自己完結した考えがあって、紘汰がこんな動きをしても不自然じゃないんだろうけど、残念ながらそうゆー流れが目に見える話の展開として、今までに具体的に十分示された事がないから、やっぱ「唐突に紘汰がロシュオの仇を討った」って事にしか見えない。
 まあ鎧武の場合はこれに限らず、全てに共通する事だけど、脚本書いてる人の頭の中の「あれがこーなって、こーなるのは○○の気持ちがこう動いたからで」が、ほんの二・三割しか具体的な映像・ドラマになっていない。
 なのに、どんどん自分のゲーム進行の為の駒として、キャラを動かす。
 それも普通に動かしているんなら、視聴者の方も脳内補完である程度フォロー出来る筈なのに「奇を衒うのをよしする」で話を進めるから、脳内補完も効かない。

 明らかに子ども対象の番組で、自分が展開している世界観についてまともな説明もしない、設定も数分ごとにぶれまくる中で「どやどや、オレの話、おもろいやろ」、しかもベースが陰鬱大好き・・トホホですぅ。
 chikaなんかは悪食だし、一部の「アンチ虚淵」みたく「虚淵だから何でも駄目」って思わないから、今回のエピなんかは面白いと感じるけど、何度も書いてきてるように、この「面白さ」は仮面ライダーには相応しくない。
 って別に子どもの道徳的なお手本になるような話がライダーだって言ってるワケじゃない。
 アメコミ実写映画のスパイダーマンシリーズなんかは、いかにもアメリカの悩めるヒーロー像を描いているんだけど、あのヒロイズムって、外の国から見ると、ある意味、銃乱射事件や武力介入に見られるような病んだアメリカの完全裏返しで、根が一緒って部分では、正にコインの裏表と言っていいと思うんだよね。
 だからスパイダーマンが描いている「生き方」「愛と責任と勇気と力」の関係は、スクリーンで見ると感動するけど、その行き着く先は、現実的にはそんなにハッピーじゃないんだと思う。
 でもさ、何処かの偉い人が分析したらそーゆー事なんだけど、それでも、人はスパイダーマンの生き方に魅力を感じ共感を憶える。
 先はどーでも、そこにそれだけの値打ちがあるから、、、つまり「ライダー」ってそういうこと。

 虚淵脚本はコアの部分で「ライダー」から離れてしまっている。
 「鎧武」においては、アプローチ的に今までのライダーシリーズの部分部分を咀嚼しながら、もう一度自分なりのライダー像を作り直してるんだということは、平成ライダーをずっと見てきているchikaにはよく判る。
 一作毎に趣向を変えてき平成ライダーシリーズだから、当然そのパーツには色々な差がある。でも意外にそのコアに当たる部分は2・3種ぐらいしかない。それは「ヒーロー物」なんだから当たり前なんだ。心底、嫌われる人間を主人公には出来ないから。
 残念ながら虚淵脚本は、その「2・3種類のコア」のどれをも理解しているとは思えないし、多分、虚淵ってゆー人は本質的にそういったコアは書けない人なんだろうと思う。(もちろん書けないから駄目ってことはない。脚本家として他が書ければそれでいいわけだから)
 決定的なのは仮面ライダーのコアが書けないのに、部分部分を分析する能力があったり、それを自分流に組み直せた(直せると思った)って事が、致命傷だったんだと思う。
 「変身ベルトとマスクの設定さえあれば、自分龍のライダーが書ける」とゆーのは、物書きにしてみれば魅力的な罠、、、だけど、全然違うよ、それは。
 フォーゼは同じ意味で絶対、「ライダー」じゃないけど、中島かずき氏は、端から「オレ流のライダー」なんて書こうって思っていなかったに違いない。自分の書きたい物を、ライダーのスタイルを借りて書いてるだけってゆー自覚があったんじゃないかと思う。
 虚淵脚本の場合はそこの所が妙に屈折してる所が難しいんだよね。
 鎧武に漂う虚無感を礼賛するかのようなムードはどう摺り合わせてもライダーのコアには混じらないと思うんだ。
 これは私見だけど、多くの人間の「誕生と死」は、引いた目で見たら、ホントに「取るに足りない」事なんだよ。
 みんなそんな事、ホントは知ってる。

 知ってるからこそ人は、全力で「誕生」を最大限祝福し・「死」を悼み花で飾る。平坦で大した感動もない人生の細部にスポットを当てそれを慈しむ。
 ヒーロー物って、そーゆー心の動きの延長線上にあるものなんじゃないかな?特に「人を守る為に戦うライダー」はね。

 

 まあ今後の展開に対する期待はまだ潰えてはいないから、視聴は続けるけど「仮面ライダー」としてどうだったかは、よほどの事がない限り評価は、個人的に決定、、。

 でも貴虎とかミッチとか、せめて救済してやってね。

 悲惨な死を迎えてもいいけど、ゴミみたいにダスターボックスに投げ込むな!

 深夜アニメのモブキャラじゃないんだからさ。

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