魔法使いの祖母 ままならぬ思い
たまにchikaもご近所のスーパーに変装して(ってジャージ姿のスッピンってこと)お買い物に出かけることがあります。
で相変わらず見かけるのが障がい者用の駐車スペースに堂々と車を乗り付ける健常者。
中から現れるのは常識知らずのヤンキー兄ちゃんかと思えば(それならそれで言っちゃ悪いけど腑には落ちる)、ご立派な身なりをした壮年男性だとかご老人、、この人たち、でる所にでたらそれなりの人物で通ってるんだろうな、、と。
中には高級ワンボックスで乗り付けて来てそこからパパ・ママ・キッズ達がわらわらといかにも幸せそうに降りて来たことも。
『この子達も大きくなったら平気で障がい者用の駐車スペースがあいてて便利だからって平気で止めるようになるんだろうな』、、と暗澹たる気持ちに。
低級人間の連鎖。
ぁつ、今、低級って書いたけどchikaは自分の事、高級だとは思ってませんよ、場面場合によっちゃかなり低級な人間ですから。
でも問題はそういった事を自覚してるかしてないかってことでしょ。
自分が低級なことやる人間だって自覚してない・あるいは自覚出来ない人間ってほんと困るし、腹立たしい。
そーゆー人は自分が色々な場面で絶対正しくて、相手が間違ってるとか世間が悪いとか本気で思って行動するから始末におえない。
世間から見ると「なんでこの人こうなの?理解出来ない」って事になるんだけど、ご本人は至って平気なんだよね、、。
でもこーゆー手合いと(あるいは自分の中にあるそういった要素・他人の中にあるそういった要素)嫌でも付き合っていかなきゃなんないのが人の世。ままならねーなー。
って事で(どういうこっちゃ)今週の「八重の桜」、「ままならぬ思い」はなんだか身につまされる話でした。
ほんと世の中ままならない事だらけ、、そういう状況下でも耐えていくのが人間なんだよって、凄く当たり前のことなんだけど、最近のTVドラマや映画はそうじゃなくて「ままならぬ」を無理矢理突破する人たちを描く話が多かったんだよね。
たしかに娯楽としてはそっちの方がすかっとはするけど、それはいくら満たされても長続きはしない感情。
容保と頼母の対立なんて辛くて見てられないけど、まさにどうにもならない、打開策がない。良いも悪いもなくそのまま次の局面に向かってダーッと突っ込んでいくしかないと。
まあドラマの方は最後の場面で「救い」じゃないけど、桜の木の下で交わされる八重と頼母のやりとりで「ままならぬ」の圧力感を下げる工夫をしてましたが。
このドラマが「3.11後」を意識して作られている事を考え合わせると、ホントに色々考えさせられます。
仮面ライダーウィザードのはやっぱり脚本のうまさが際だっていますね。「魔法使いの祖母」なんかは、今までのライダー脚本だとこの一本分で、二話を消化してた感じでしょ。
それも悪くはないけど話が転がっていく面白さが物足りない、、って思ってたら、この脚本、もう一度回るんですね。
どうやらお婆ちゃんが自分の身を犠牲にして孫を助けてやるとゆーよーな、「人間が絶望した時にファントムが生まれる」システムを端から否定する行動を取るわけで、しかもそこにソラの思惑を絡めるんだから。
ところで今回の仁藤の変装、どーしても松田勇作の工藤俊作を思い出しちゃうんですけど(笑)。