saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

終わらない物語 私たちの子ども

仮面ライダーウィザード 最終回 終わらない物語

 久しぶりに現れた門矢士の台詞、「ある人が言った…俺たちは正義の為に戦うんじゃない。俺たちは、人間の自由のために戦うんだと」 つまり「正義」は、絶対的なものではなく立場によって変わるって事ですね。

 この事実は、現実社会では、大は戦争から小は些細ないざこざまで嫌という程、思い知らされますね。

 争いを起こしている人はお互い決まってこういいます、「俺が正しい」んだと。
 それに対して自由は抑圧の対語。そして抑圧は、個人に対して、又はある集団に対して行われるもの、と言った感じで対象は様々なんですが、「正義」とは逆に、する者とされる者という関係性においては変化は生じない。
 そしてこの場合の俺たちとは当然、仮面ライダーとなります。
 これが會川昇脚本に置ける仮面ライダー観。

 従ってアマダムと力の源を同じとする仮面ライダーは、アマダムを悪と見なす世界においては「正義の実行者」として正統性を持たない。つまりは「出来損ない」の悪。
 しかし仮面ライダーが「正義の実行者」ではなく、自由獲得を支援する者だとするなら、話は別で、その力の由来を問わず、ただ力を使えば良い。
 で、怪人になる事を定められていた少年はるとは、「僕も仮面ライダーになれるかな」と言う選択肢を、晴人を含めた仮面ライダー達の生きざまに教えられたわけ、、ですね、、。
 先週の前半パートのオチャラケぶりを、多少は田口トモロヲ氏の演技に委託しつつ後半は打って変わったシリアス展開にして、見事に51回に及ぶ操真晴人の迷走を救済しての最終回とあいなりました(笑)。
 本編の物語を、ちゃぶ台返しみたいな形のリセットもせず、見事、最終回で帳じりをあわせましたなぁ。拍手。
 本当は、會川昇氏のライダー観ときだつよし氏のライダー観に、あんまり共通項があるとは思えないんですが、晴人の魔力のなりたちとソラの力の違いとか、こよみへの拘りとか、本編で展開された一応ひっかりのある部分を會川昇氏が上手く拾ったってゆー形ですね。
 やり方としてはどうかわかんないけど、これで操真晴人も仮面ライダーとして成仏したワケです。ヤレヤレ、、。

八重の桜 39回「私たちの子ども」

 回を追う毎に、「教育」と「学問」の違いを強く考えさせれる内容になって来ましたね、、。(多分、脚本書いてる人はそんなこと狙ってないんだろうけど)

 明治時代の富国強兵の風潮の中、人々の学問をして出世する・身を立てるという感覚と、新島襄がが考える教育という概念が渾然と入り交じっていた時代なんでしょうね。
 勿論、入り交じるたって立身出世の為の「学問」の方が遥かに大きいわけですが。
 だって平成の今でも、この国は、未だに教育とエデュケーションの概念の違いは明確じゃないし、本質的には今の教育って明治時代の「学問」とおんなじなんだから(笑)。
 違うのは昔の人は「やる気満々」、今の人は「ダルー、、」。
 日本は餓死寸前の子どもたちが山ほどいる国じゃなく、仮にも一応先進国、もうそろそろ教育に関してもエデュケーション的なニュアンスに重点を移してもいいんだけどなぁ、、、それどころか今は平成富国強兵、、そんな中で、教育とキリスト教と立身出世学問がぐちゃぐちゃになってるカオスな同志社創立期の話を「八重の桜」で見るのも不思議な感じがします。
 で、それは置いておいて今回の、開校後まもない同志社女学校に入学した薩摩出身のリツに絡めた会津戦争の傷跡からの回復話、、、めちゃめちゃ表面的でしたね。
 第一、会津編での八重像は、「鉄砲で人を殺す」事の意味や重さを充分認識、あるいはそうすることが不可避だったってちゃんと描かれていたんじゃない?

 なんで京都編になると、同じ八重なのにこんなに心優しい繊細な人になって、自分のやったコトを悔いてるわけ?って思わざるを得ない。

 まあ薩摩出身のリツに「戦争だったんだからしかたなかんべ、こっちも父親と弟を殺されてるんだし、いつまでグチャグチャ言ってるのし」とか頭から言ってちゃドラマにならねえだ(笑)。
 京都編になって内容の大幅な変更がされても、目指す方向性については変わらないからとまだ見てられたけど、最近かなりしんどくなって来ましたね。

 ガラガラと音を立てて、急速に只のホームドラマになりつつある(笑)。視聴率はどうか知りませんが、会津編の制作姿勢を続けてれば、目立たないけどNHK大河の中ではかなりの良質ドラマに数えられたろうに、このままじゃ、プラマイ0、、ゼロ、、マイナスでもプラスでもないゼロとして位置づけられるんでしょうね、、。

 優しくて素敵な旦那様と遣り手のやり手妻の物語である「功名が辻」をなんだか思い出しちゃいましたよ。

 「功名が辻」の場合は後半、旦那が権力病にかかって妻の生き様にも陰影が出ましたけど、新島襄は最後まで心優しきクリスチャンなだけに、今の「八重の桜」いや「やえちゃん」って始末に終えない感じがして来ました(笑)。

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