進撃の巨人 第24話 慈悲
しかしエレンは、いやエレンに限らず「進撃の巨人」に登場する主人公サイドの主立った人物は実に良く「失敗」もしくは「不発」を起こしますなぁ。
彼らの立てた計画や算段がスムースに行った試しがない(笑)。
だから見てるほうはハラハラドキドキして面白いんですが、これもあんまり手法としてあざとくやられるとちょっとイラッと。
今回エレンは、巨人化したアニに応戦する為に、自らも巨人化しようとするのですが、これも失敗。
エレンの普段の言動から考えると、巨人の正体がアニだからと言ってアニ殺しを躊躇する筈がなのですが、それが出来ない。
自分の平常感覚の中に、親しい間柄の人間として取り込まれた人物に対しては、エレンの持つ狂気じみた「憎しみ」が発動しない。
つまり平常感覚と興奮時の両方の感情が、とても「幼い」って事ですね。
ほら人を傷つけるのが平気という極悪ファミリーが、自分の身内だけには優しかったりするのと同じですね。
社会に対しての認知の仕方が幼かったり狂っているからそうなる。
社会に対する認知力が高ければミカサが言うように、「リヴァイ班を殺したのはあの女」→自分の中のアニ像の修正→報復の流れが、もう少しスムースに出来る。
ミカサの「世界は残酷だ」と言う認識と、エレンのそれとは同じように見えるけれど習熟度が違うようです。
だから今回、エレンはミカサらにその事をもう一度気づかされる事になる。
まあ今回の場合は、女の嫉妬ぶくみだという見方もあるようですが、ミカサのエレンに対する感情は恋愛というよりも一種の「依存」か、「宗教」に近いもので、エレンを愛すべき男の全体像として認識してるとは言えませんからね(笑)。
それとこの物語はアルミンの「世界を変えられるのは自分の中の何かを捨てられる人間だ」説を一つの基軸として進めているようなので、そのアルミンが今回、アニを「何かを捨てられる者」として認定したと言う事は、アニは単なる「パシリ」として、女型巨人になって暴れまくっているのではなく「世界を変えようとする」意思の持ち主として行動してるって事になるのでしょうか?
それにしてもアニが時より見せる、「理想」「正義」に対する懐疑心以外の、「揺れ」の正体は一体何なんでしょうね?
しかし最近、ますます、「進撃の巨人」って、ガンダムみたいに見えてきたな。グチャグチャどろどろのバイオガンダムワールド(笑)。