saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

驕る平家は

仮面ライダー部の一員がゾディアーツになるってゆーのは、とても美味しい展開なので、「なんでもあり」のフォーゼ脚本がなかなかこれに手を出さないのはかえって不思議だったけど、この時期にユウキにそれを持ってきましたか。
ユウキの人選については、個々のキャラに焦点を当てたエピソードがまだ披露されていないのは彼女だけなので、これは当然として、ラス前の緊張した(そうなる筈?)展開にもって来るには、彼女がちょっとファニー過ぎて、やや心配(笑)。
まあ例によってテキトーに話こさえて、テキトーに「絆」話でサクサク終わらせちゃう予感が大なんだけどね。
だってユウキの「例のチケットもなしだからね」の台詞で、前振りはちゃんとやってあるし、脚本が三条陸氏だから、当事者が女の子なのに終わってみれば「熱い友情」話でちゃんと終わらせるよ。
それよりか今回のエピソードではジェミニとサジタリウスのツーショットが、すっかり出来上がってしまった援交カップルみたいでみょーに萌えでした。
「ジェミニとともに宇宙へ旅立つ」というサジタリウスの台詞が「ジェミニと一緒に○○○へ旅行にでも」に聞こえたり、サジタリウスの分厚い胸に、しなだれかかるお馬鹿なJK声の甘えたジェミニとか(笑)。

そんな感じでみょーに気になり出すと、そこばかり見てしまうのがchikaの悪い癖で、最近、気になりだしたのがNHK大河「平清盛」の松ケン演技。
ダーク清盛を演じてる時の松ケンの無表情ってか(日本の人物塑像みたいな)仮面演技と、時々、ヤング(素)清盛演技の落差。
多分、本人は渡された脚本とか演出なんかを真摯に受け止めてやってる筈で、実際、かなりの演技力の筈なんだろうけど、見てる方はどーも「わざとらしい」感じがしてならないんだよね。
今回の頼朝・常盤御前母子延命エピソードでも、特に頼朝との清盛の対面シーンではそれが際だってました。
でもこれは松ケンのせいじゃないと思うんだよね。脚本がもっと自然なら「松ケン、やっぱ、演技うまーい!」って話だったろうし。
脚本上のダーク清盛とヤング(素)清盛が、一人の平清盛ってゆー人物の中で上手く練り上げられていないとゆーかね。
ずーっと前にも書いたけど、昔「六十年安保の若き運動家達が成熟して内ある思いと現実との中で」みたいなロマンチシズムに傾倒した脚本が流行った事があるんだけど、あのパターンなんだよね。
でもね、今の時代から見ると「ウゼー。それってホントかよー?」ってのがある。
今時そんな話書いてるのオメデタイなー、みたいな。
良いのか悪いのか最近の流行だと、どーせ上手く演出出来ないんなら「屈折」は邪魔くさくて、一直線単純正義でいいし、一直線極悪非道虫けら以下でいいみたいな。
多分、誰もリアルに見せたいだけの胡散臭い・技なしフィクションは見たくないんだろうと思う。
でも問題は歴史大河でそれをやるのは無理だって事なんだよね。
そこで「非情に見えるけどホントは熱いハートの平清盛」なんだろうけど、その塩梅をね。ちょっとばかりしくじったって事かな。
最近になって随分、その辺り軌道修正が効いてきて、良い意味で従来の真面目な歴史大河ドラマ路線に戻りつつあるって感じ、でも、どーしても払拭出来ないのが脚本家の感性なんだよね。
この場面では「私のキヨモリは」ってやってしまう(笑)。
(悪いけどアンタが頭の中でこさえてるキヨモリはチッセーんだよ。ってか脚本家の人間性以上のキャラは脚本上には現れない)
これからは平家滅亡の道を一直線に進んでいくワケだけど、その理由は、正に「驕る平家は久しからず」であってそれ以上でもそれ以下でもない。
でもその平清盛を主人公に据えたドラマじゃ単に「驕る」ってワケにはいかない。
「志を抱きながらも運命に翻弄されて、しかし主人公平清盛は雄々しく生き抜き」って感じにしなくちゃ駄目なワケで、難しいんだろなーっ、てその辺りは脚本家さんに同情するんだけどね。
そんな事、考えるとこのドラマ、今まで悪役としてしかスポットライトが当たっていなかった平清盛、あるいは日本人が大好きな「ヨシツネ伝説」以前の事変を面白おかしく取り上げたってだけでも値打ちのある一品ではあるなーと。ネ、最後はフォローするんだから。ガンバレー!「平清盛」。

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