saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

滅びの美学

ダン・シモンズの「イリアス」上・下巻読了。
最後の数ページ、作品中にちりばめられた数々の謎が解き明かされるのかと思ったら唐突にページの終了。
これだけのボリュームで、まだ続編があるみたい、、「なんやねんそれ!」と突っ込みながら、そっちのレビューはSMfで。「こっちのプププは甘ぁいぞ」ってワケで龍馬伝23話「池田屋に走れ」の感想をば。

池田屋と言えば「階段落ち」、土方歳三大暴れ、斬られた浪士の一人が階段を転げ落ちる名場面、、龍馬伝では到底無理だろうなと思ってましたが、無理どころか戦闘場面自身が暗転ワープ、昭和中期の昔なら「お父さん!タイヘンですよ!テレビが壊れちゃいましたよ」って茶の間のお母さんが悲鳴を上げてるんじゃないかと(笑)。
で次はドキュメンタリータッチの戦闘終了後のシーン、こーゆー場面の切り替え、結構、「お気取り」系外国映画には多いですよね。
NHK大河を見る視聴者層ってどんなのか判らないんですけど、ある程度「池田屋襲撃」について知ってるだろうってゆーのが前提なのかなぁ、、。全然知らない人にとっては、突然、夜の京を凱旋ぽく歩いていく新撰組見て「?」だったかも知れないし。
まっいいやこうゆー手法見て拍手送る人も少なからずいるだろうから。chikaは役者さん達が演技するのをとにかく楽しみたいので、こーゆー制作サイドの「見せ方」の思惑なんてどーでも良いのだ、プン。

・・とか言いながら、亀弥太の追い詰められ後の自害シーンの「見せ方」には、密かに唸ってたんだけど(笑)。
実際、亀弥太は人間がその一生を終えるにはあまり立派とは言い難い場所で自害したんだろうから、それを数分を使って真正面から撮ったセンスについてはグッジョブって感じやね。
池田屋襲撃シーンをワザとカットして追い詰められつつあった攘夷派の視点で捉えた事が、亀弥太のこのシーンに効果的に繋がっている部分も確かにある)でも亀弥太の死の間際の台詞さえ、龍馬(しかもそこに居るはずのない)の言動の引き立て役みたいになってたのはブーだと思うけど!

そうそう神戸の操練所での龍馬の「200人全員野球演説」、あきらかにテレ朝のタンブリング系列なんだけど、ベタなタンブリングの方に泣かされてるchikaなのに何故に泣けない、この不思議。
山本裕典君の年齢で航やって「俺たちダチだろ」ってやられるとウンウンって感情移入が出来るけど、谷垣総裁に「みんなでやろうZE」と言われると鳥肌が立つのと同じ理屈か、、。
でも明らかに劇中の陸奥陽之助は心を動かされていたようで、その姿が、司馬大先生の「坂の上の雲」に登場するあの陸奥陽之助とクロスしちゃってchikaは混乱状態(笑)。



PS 北方水滸伝が楊令伝にシフトしたごとく民主も菅体制で再出発、今度は、楊令伝に無理に重ねられる人物もなく(ってか楊令伝自体まだ読んでいない)まああえて言えば扈三娘が蓮舫氏って役どころ?、でもこれもベタすぎ。
正直言ってchikaが民主に水滸伝を重ねるのは、元祖水滸伝自体が「革命も含めて権力闘争が結局堂々巡りするだけの話」である事、北方水滸伝が「滅びの美学」であることだけの話なので、全然、前向きな話じゃない。
そうやねー、「滅びの美学」と言えば、今一番そんな匂いをプンプンさせているのは枝野幸男幹事長じゃないかしら。
まっとうな生き方を宣言して自らの退路を断った人間は滅びるしかないのが世の常だからねー。
「滅び」とえば今回の龍馬伝でも亀弥太の自害シーンがかなり長く撮られていたし、その前は平井収次郎だったでしょう。
以蔵・半平太に至っては延々とひっぱてるし、第一、主役の龍馬も暗殺されるワケだし、、、どーもこの脚本って各個人の死に様と日本の夜明けみたいな部分をバーターで描き出そうとしてるんじゃないかと思ってしまいますね。
だから、その時が来るまで主役の龍馬は、理想を語りながらバタバタ動き回っているだけなんじゃないかと。

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