saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

ルーピー鳩山へのレクイエム

ルーピー鳩山へのレクイエム。おそらく今、この瞬間、chikaは日本国中でごくごく少数の鳩山擁護派の一人であるに違いない。
ってか鳩山という人物が、この国の首相としては極めて無能であった事は否めない事実で、その事実を押して擁護するんだから、自分自身の心理も相当に混乱していている。
ただこの辞任劇で大量に垂れ流されるコメンテーター達や我々一般庶民のコメントを聞いてると、ふつふつと鳩山擁護の気持ちが湧いてくるんだから仕方ない。
でもおそらく、鳩山首相が歴代の首相にはなかった手触りのヒトであった事については、誰も否定しないだろう。
理想を高く述べ人の話を聞き腰が低い・・・簡単に言ってしまえば、今までの首相実態の逆ベクトルを持つヒトだった。
前にも書いたけれど「象徴首相」でしか存在し得ないヒトが、実務的なリーダーシップを求められたら耐えられる筈がない。
小沢ってゆーヒトもそれを見越した上で、鳩山氏を首相に据えてた筈だ。ってゆーか国民の新政権に対する熱が冷めた時点で、首のすげ替えも考えていた筈だと思う。
けれど状況は思った以上に早く変化したのだろう。
当の小沢さんだって氏の感覚から言えば「政治と金」の問題も、従来のやりかたで凌げると思っていたのが、結局は大きな所で凌ぎきれなかったのだろう。今は、角栄の時代とは、良かれ悪しかれ違うってこと。
小沢さんがしつこく「マスコミ報道」をやり玉に挙げたのは、そこに凌ぎきれない原因を見ていたからだろうと思う。でも本当の原因は「マスコミ報道」じゃなくて、そのマスコミ報道の受け手である国民の感性の変化だってことに気がつかなかったのが、つまずきの最初なんじゃないかと。
よく言われる「国民はそんなに馬鹿じゃない」とか「国民はよく見てる」なんてそんな格好の良い変化じゃなく、物事の判断基準が、息遣いの感じられるようなヒトとヒトとの繋がり、悪く言えばしがらみのレベルから、「細部も大局も総合した情報」へと、底辺を広げながら大幅にシフトしてしまったからだろう。
ただし問題は、その情報の「貌」なんだよね。ヒトは悲観・楽観に関わらず、自分の見たいモノを見る傾向がある。そして貌を変えない「固い情報」はない。
普天間基地移設」問題にしたって、冷静に考えれば初めから旧政府の残した案しかないことぐらい判りそうなもんだけど、鳩山首相が「最低でも県外」と言えば、そこに可能性を見る。
言っちゃなんだけど、これがあの時点で誰か別の知識人や社民の誰かが同じ事を言ったって誰も動かされないし、実現しなくても文句も言わないだろう。
だからこそ首相の言葉が重い、責任がある、って事なんだろうけど、端から自民は「そりゃ無理だ」って言ってるし、閣内でだって「無理に決まってる」から足並みがそろわない。
ヒトの良い首相とヒトの良い国民が一時、夢を見て、夢が覚めれば首相は大嘘つきで国民は被害者。暗い井戸の底で蛙たちがまぶしい青空をみて「誰が外へ出れると言ったんだ!」とゲコゲコと泣きわめいているような感じ。
でもそれでも歴史は動いていくよね。「高く理想を掲げよ」、何が何でもそうし続けるしかない。
・・・って事で鳩山首相の姿が重なってくるワケ。
実質、無理でも何でも理想を高く掲げ続けるのは社民・共産なんだけど、これはもう一種のスタイルなのであって、首相となった鳩山氏がやることとは少し意味が違う。
「政治は結果責任」、正にその通りなんだけれど、世の中には結果が出せない大きな課題が山ほどあるのも事実でしょ。「だったら最初から出来ないことを言うな」とは言わないで、ある意味、そうし続けて来た政治の限界が、今の日本の基盤になってるんだから。
諸々考えるとこの国で鳩山氏みたいなタイプの人間が首相になるのは滅多にない事だったんだよね。もしそれが何とか少しでも形になってたら、、と今でも思うわけ。
まあchika自身が理想家過ぎるとか言われそうだけど、まかり間違って樽床伸二氏が首相になったら困るなぁ、こうなりゃ何が何でも菅氏でなきゃって思ってるヒトなわけだからね、、。

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