saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

永遠革命

話の展開としては次回が山場なんだろうと考えながら「今日のよかったじゃん、だから次はもっと凄いんだろうなー」と思い、その「次回」で肩すかせをくらうのは連続ドラマではよくある話で(笑)。
でも「龍馬伝」の場合は、その「次回」でも妙に力が入っていてこちらも気持ちの持って行きようがない。
宮迫博之の熱演や「永遠」を想わせるような半平太と収二郎の抱擁だとかは、看過出来ないシーンでもあるし、、近藤・容堂&青木・象二郎の妖怪一味の怪宴(演)ぶりも楽しかったんだけどね。
種をまいて水や肥料をやってやっと収穫ってゆーシーンを、どっかから立派に出来上がっている作物を持ってきて急場ごしらえの穴の中に埋めてそれを取り出して代行みたいなネ、、、変な感じがするわけよ「収二郎無念」は。
第一、基本的に収二郎って「無念」だったのか?疑惑も出てくるわけで。

まあ「武士」そのものだとか「尊皇攘夷」の思想とかムーブメントをきっちり描き込むのが龍馬伝の趣旨じゃないのは判ってるんだけどね。
ただ「あんたについて行って良かった」みたいな括りじゃちょっとなぁ、、この分だと次に複雑骨折しそうなのは「以蔵」かな、、。
半平太は「尊皇攘夷」を離れてもどんな切腹シーンでもOKになるだけの人間的な描き込み方がされてるから大丈夫だろうけど。
しかしまあ龍馬伝の映像ってシャープというか、ホコリぽいシーンまでこうキラキラと輝いて写るから、なんだか時々メキシコ辺りの内乱をテーマにした洋画をみてるような気分になる。
そういう映像演出感覚で横井小楠がお豆さん(御菓子?)をポリポリ食べてるシーンを延々と映し出されると、「もういいんじゃない?」って突っ込みを入れたくなるんだけど、この辺りのバランスがねぇ「龍馬伝」の場合は、「すげぇー面白い」と「、、、、。」な時の分岐点を左右してる一要素でもあるのかなーっと。

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