saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

櫻と半平太

お久しぶりです。なんだかここ最近、「龍馬伝」と「仮面ライダーダブル」の感想を定期的に書いているので、それを滞るとさぼっているような変な気分になっちゃたりします。
お仕事じゃないんだからもー(笑)、、あっ、お仕事と言えばGW中は「地方出張デート」なんかも入ったりしてて結構忙しくしてました。
それで一段落ついたところで、ちょっと遊びに出かけてたんですよねー。その時の話は又、いずれ、、って事で今日はやっぱり龍馬伝第19話「攘夷決行」の感想からでしょう(笑)。

 結構な確率で思うことなんですが、この番組の主人公って一体誰なん?ってことですね。
世を挙げての龍馬ブームを巻き起こしてる割には、この番組、物語としてピントを合わしてる筈の龍馬より、周りの登場人物の方が濃い、だからといって群像劇ちゅーわけでもないし。
今回はそれが際だっていましたね。勿論その中心は武市半平太(笑)。
「一生懸命攘夷を頑張ってきたワシラを、龍馬おまんは見物してただけじゃねーかっっっ!!おまんなんかに説教されたくないぜよ!!!」この台詞に一体何人の庶民が共感したことでしょう(笑)。
遣りたくないこともやり、地面を這い蹲るように、ただ己の信じる一つの事の成就の為だけにのたうち回る生き方、一方で、フワフワと夢を語りながら生きている人間が、ふらりとやって来ていいとこ取りだけをしていく。
これが龍馬と半平太の相関関係、、あれなんか違ってる?
いややっぱ違ってるんだよね、そーゆー物語作りしても「龍馬伝」という看板の下では成功しない筈なのに、見ててこの番組結構面白い。
それは何故かというと、己の完全な敗北を確信した半平太が、自分の身を案じ、そして傷心している龍馬を逆に助け上げる動作を見せるあたりなんでしょうね。
結局、人は一つの生き方しか選べない。その選んだ生き方は取り替える事も出来ない。けれど、その生き方同士をつなぐものもないではない、あるいは自分の思いは自分のものとして抱え込む以外には方法がない・・と同時に、少しは何かを他人に託すことも出来るかも知れない。
つまり、そういう「夢」というか「望み」が「龍馬」という一人の人物に結集してるってことなんですね。
だからいつまでも「龍馬」という存在は、ドロドロとした生身の人間としてのピントが合わない。
その分を半平太や弥太郎や以蔵が受け持っている。
そういう構図でこの龍馬伝を見ると正に福山雅治を龍馬役に抜擢したのは大正解だったのかも知れませんね。その分、周囲の「人間」を演じる役者さん達がしっかりしていないとコケちゃうワケなんだけど、香川照之大森南朋は勿論のこと、田中泯の吉田東洋から始まって武田鉄矢の勝海舟やら近藤正臣山内容堂と上手く機能してる。
以蔵の佐藤健君なんて意外な拾い物と言っちゃ失礼だけど、新しい以蔵フォーマットを作り上げつつあるし、宮迫博之平井収二郎はますます安定感を増しつつあるし。
それと癖のある史実の取り込み方も、龍馬という大ジョッキにそれぞれの登場人物が己の酒をつぎ込むというこの構図に従って上手く改変してるんだなと、ようやく納得。
でも本当に龍馬という人物自体に心酔してる人から見れば食い足りないんだろうけど。

「構図が判ってみればより楽しめる」と言えば、先週の仮面ライダーダブル「イエスタデイ・ドーパント」エピソードもそうでしたね。
話自体は「還ってきたT」の二番煎じを超えられなかったけれど、見せ場は「イエスタデイ・ドーパント」の能力自体にあったようです。
特に、雪絵が翔太郎達の目の前で、冴子に襲い掛かった昨日の行動を繰り返しているだけのシーンは、かなり哀しいものがありました。
過去への愛惜・得る物のない復讐、そして過去の動作をそっくり繰り返すという「イエスタデイ・ドーパント」の力、そういう見せ方だったんですね。
でもこんな展開しても、龍馬伝には演技力のある俳優さんと有り余る時間があるのに対し、ダブルはそうはいかない、、難しい所ですね。
って事で次回に期待です。
おおそうだ。佐藤剣君の横顔のドアップも、大森南朋さんの桜舞い散る中での後ろ姿も綺麗だったよー。

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