saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

日本国民に愛でられる男と嫌われる男。

日本国民に愛でられる男と嫌われる男。
のっけから凄い出だしだけど、やっぱりこんな風にchikaとしては書いてしまう。
愛でられる男とは勿論、高橋大輔選手で、嫌われる男とは国母選手である。
国母選手がもしメダルを取ってしまったら・・という想定も含めてマスゴミは彼の隠された(別に隠してたわけじゃないけど)美談を発掘しておいて、いざとなったらその路線で上手く乗り換えようとしてたみたい。
でも結果が入賞止まりだったので、そのまま国母・ヒール路線でゴーって感じ。高橋大輔選手はおそらくメダルが取れなくてもヒーローだったでしょうね。
だって彼は「靭帯断裂からの復活」という日本人が一番好きな美談を背景に持っているから。
前のブログで書いた・勝負に望むときの「犯されざる個人の領域」という点では、両者まったく同じなんだけど(「背負っているものが違う」なんて台詞はちゃんちゃら可笑しい。背負っているのもがいくら凄くたって負けるモノは負ける、それが「勝負」ってこと。)周囲の評価は天と地ほど違う。
これで高橋大輔選手が金でも獲っていた日には来年からこの日は「国民の休日」、、、なんねぇか(笑)。

話は変わるけれど数ヶ月前から読み始めた「坂の上の雲」があと数十ページで読み終わる。
史実の描写が人物の描写を遙かに上回るこの手の歴史物が好きじゃない人には、とても勧められるような本じゃないけど、司馬ってゆー人の歴史観には「目から鱗」の思いをさせられた部分や、「日本人観」にうーんと唸らされる部分が多々あった。
特に司馬氏が強調する日清日露の戦争とその後行われる戦争の質的な違いについては、どちらかと言うと平成の世の中になった今でも、後者の戦争気質を引き継いでいる我々には、考えさせられる部分が多いように思える。
日清日露の大戦では、どちらかというと神懸かり的な勝利を得た日本だけど、その戦いには「神風」や「神国日本」といった得体の知れない精神論が横行するような基盤はなくって、むしろ合理性という点で言えば、その後の太平洋戦争などより遙かに優れた戦争だったという。ただし、人の命が驚くほどの勢いで「浪費」されたと言う点では、日清日露の戦いも後のものも同じであるという。
しかしこの「人(国民・大衆)の命の浪費」も、「国というものの為に自ら差し出す命」と、「国というものの為に自ら差し出さざるを得なかった命」という点では、大きな差があると「坂の上の雲」では暗示されている。(chikaはこの点については保留)
 さらに日露戦争については、その開戦への志向が国民の中から突き上がるように湧いてきて、どちらかと言うと、この時点では開戦に及び腰だった時の政府の方が、国民の中に生まれた盛り上がりを押さえるのに苦労したという記述を読むと、この辺りの「熱しやすい」国民気質は、明治時代も今も変わらないのかとも思ったりする。
ただ司馬氏が何度もその著書の中で書いているように、太平洋戦争で横行した、現実を無視した異様なまでの精神論への傾きは、元来の基本的な日本人気質ではないという指摘を、心にとどめておく必要があるだろう。
戦国時代の戦史を取ってみても、そこには近代性とまでは言わないまでも、「合理性を無視した精神性のみに重点を置いた戦い」は、なかったという。
戦いの原則はあくまで「多勢に無勢」は負け・無勢を補うのは知略であり、「根性」ではなく、ましてや得体の知れない「○○精神」ではなかった。
 「熱しやすく冷めやすい」国民性の裏側にあるのもを、看過するとやっぱりまずいんじゃないかと。
えらく大上段に構えた話になっちゃけど、国母騒動にchikaがしつこく引っかかってしまうのは、そういう危機感にあるのだと思う。
まして正義の味方ずらして「熱しやすく冷めやすい」国民性を操作しながら旨い汁を吸おうとする「マスゴミ」が、日々、chikaを苛つかせるし、、。

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