saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

虹の根元へ

動画:「ズバリ言うわよ!」

 相方を乗せてドライブをしていたら峠の下り坂の直ぐ向こうに虹が立っていた。かなり大きくてchikaの車のスピードだと虹が消え去る前にその根元に到着するような距離だった。
 実際、おそらく虹の根元と思われる場所にたどり着いて見ると、道の間際までせり出した木立の太い幹達が、奇妙な具合にキラキラと輝いていた。
 この感じ、、、そう、夏の暑い日に庭のホースを持って水を空中にまき散らした時に透けて見える「向こう側」の、アノ光景に似てる。

 ドイツを中心にしたヨーロッパ諸国には、虹の根元に金のカップがある、という伝説があるのだそうだ。
 ドイツの伝承では、そのカップには太陽か月か星の模様が入っているか、あるいは中に虹のあらゆる色が煌めいていると言う。
 この伝説では虹は生き物と見なされており、虹は水を飲みに天から現れる存在らしい。
「虹」が水を飲んでいる間にその場(つまり虹の根元)に人が辿り着ければ、そのカップを手に入れることが出来るとゆーことになる。他の変形バージョンでは、「虹」がその場にカップを置いていくこともある。

 この手の伝説のお決まりだけど、そのカップを手に入れると、一生幸運に恵まれ、逆に欲に目がくらんでカップを売り払ったりしようものなら、たちまち不幸に見舞われるとのこと。

 百年に一度の世界同時不況という巨大でダークな「虹」の根元に向かって、まさに疾走という感じで無理矢理に運んで来られ、そこで見つけたカップの中には、、。さてさて何があるのだろう?

 

坂本哲志総務政務官(自民、衆院当選2回)は5日、総務省の仕事始め式のあいさつで、東京・日比谷公園の「年越し派遣村」について、「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのかな、という気もした」と述べた。

 さらに、「『(厚生労働省の)講堂を開けろ』『もっといろんな人が出てこい』(と要求される)。学生紛争の時に『学内を開放しろ』『学長よ出てこい』(と学生が要求した)。そういう戦術、戦略がかいま見える気がした」と語った。

 坂本氏は地元の熊本県では厳しい経済状況の中で助け合っているとしたうえで、派遣村のあり方に触れた。

 こんなのもそのカップの中には、入っていたりして(笑)。



 虹の根元に金のカップ、つまり財宝がある、という観念は、実はヨーロッパに限ったものではなく中国の『異苑』にはこんな話があるそうだ。

 晋の時代、薛願の家に虹が入ってきて、釜の中の水をガブガブと飲みはじめた。水はすぐになくなってしまったが、薛願は「虹がやってくるなんて目出度いことだ」と喜び、釜の中に酒を注ぎ足した。虹はこれも飲み干し、釜の中に沢山の黄金を吐き出して去っていく。おかげで薛願は俄かに大金持ちになった。


 虹の根元に行き当たった人間の対処について、共通しているのは「欲」を戒める内容になっていること、そして富は超自然的な産物であって、人の作為では作り出せないとゆー事のようだ。
 勿論、この話のスタートは、虹という不思議で大きなスケールを持つ自然現象への畏敬の念から始まったものだろう。
 それに伝説が作られた時代では「富」の性質も、やや「自然現象」よりのものだったのかも知れない。

 「百年に一度の世界同時不況」は、人の強欲が化身した「構造」そのものと捉えるのが正解なのだろうけれど、それをもっとマクロな目で見ると「せっかく手に入れたカップを、欲に目がくらんで売り払って、たちまち不幸に見舞われた」人間の比喩であり、それに対置して、やっぱり「富」の本質は、「天から降り立った虹が置いていくようなもの」ではないか?と諭しているような気がする。
 「経済」と「富」とは、必ずしも表裏一体の関係ではないのだろうと思うのだけれど、そんな事は、日本の片隅に生息する隠花植物である我が身には知恵の及ばない事だ。

 虹は、雨が降っている場所と降っていない場所の境界線がスクリーンとなって、太陽光を雨粒で屈折させる事によって発生するのだそうだ。
 だから虹の根本は、雨の降り始めや、雨がやむ瞬間の所とゆーことになる。そうなると「狐の嫁入りの日」には、人は、虹の中に立っていることになるのかなぁ。
 今年は牛、、決して狐年じゃない。・・だよね、、。

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