saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

現実を震撼させる妄想の力


 マスゴミマスゴミと悪口を言い続けて数年、、最近気になって仕方がないのはCGによる事件現場再現の手法。
 湾岸戦争の時は、遠隔操作戦争とか言われて、実際には流血しているのにその痛みさえ判らない戦争のあり方に話題が集中したけど、こちらはその逆。
 画面の中をのそのそと動き回るのはパーソナリティのない只のでくの坊なのに、それが代えって見る者の想像力を刺激して奇妙に生々しく見える。
 臭う筈もない血臭や聞こえる筈もない悲鳴が微かに頭の奥底でわき上がるのはchikaだけ?
 コレで最近一番参ったのは、佐世保銃乱射事件のCGだった。下手なホラーサスペンス映画よりずっと怖くて気持ち悪い。
 この事件、最初、無差別殺人って報道された時に被害者の一人として倉本舞衣さんの顔写真が映し出されて「綺麗な子、これでマスゴミはなんだかんだとこの事件に余計な付加価値を付けるんだろうなぁ」とか思ってたんだけど、今となっては警察が、犯行動機として馬米容疑者の倉本さんに対する横恋慕を上げ、事件はかなりわかりやすいものになって来てる。
 これについてはCGで何回か再現されていたけど、乱射が始まった直後に、事務室に逃げ込んだ7人に対して馬込容疑者が、鍵を掛けようとした女性らとドア越しに押し合いした事や、それを突破した後の凶行描写が特に印象的だった。
 侵入した馬込容疑者は、無言で倉本さんに向け至近距離から1発発射、倒れた倉本さんに1発ずつゆっくりと3・4発発射し立ち去るまでを、CGはムーンウォークしながら描写。・・でもほかの6人にけがはなかった。
 この状況から、県警は馬込容疑者は初めから倉本さん殺害の意図を持っていたと断定してるわけだけど、1発目で既に倒れた者にその後3・4発、、好意を寄せた人間の身体に銃弾を撃ち込むってどういう心理状態だったんだろうと思う。
 映画やドラマでは射殺シーンはどんなにリアルに描いても企画者が表現したもの以上のものは出てこないけど、CGになると逆に想像力の歯止めが効かなくなる。
 chikaの感覚だと、人間の死を見るということは「人間も動物と同じ、死ねば単なる肉の塊に帰る」ということを全知覚で再認識することだと思うし、だからこそ生きている者の死は決定的に悲しいのだと思う。
 おそらく容疑者は倉本さんに対して恋愛感情(あるいは欲望)は抱いていても、彼女とは一片の情交もなかった筈で、このレベルで一足飛びに殺害に至るのだから、彼の行為とは自分の気に入ったマネキンを誰にも取られないように破壊するようなものだったのかも知れない。
 ただし、このマネキンが非常に高価なものであり、その代価は尋常でないくらいの判断力はあったのだろうから、彼はその代価として己の死、あるいは負債からの責任放棄として自らの死を用意したのか、逆に自らの死が先にあって、「行きがけの駄賃」として、本来なら手の届く筈のないマネキンを壊したのか。
 いずれにしても、彼の行為は惚れた腫れたの果てのドロドロ殺傷沙汰とは基本的に構造が違う。
 恋愛にしても、友人関係にしても、お互いが影響を及ぼし合って常に変化していく。その過程において関係だけが変化するのではなくて、自分自身も変化するし、相手も変化する。
 その中には好ましい変化もあれば、好ましくない変化だってある。
 それを畏れて、自分だけで完結するしようとする恋愛・人間関係という矛盾した極めていびつな状況を好む、あるいはそこから逃げ出せない人々もいるのだ。
 けれど彼らが抱くイマジネーションは決して貧弱なものではない。本来なら「抵抗」として働く現実が希薄な分だけ、そのイマジネーションは途方もなく強靱でドライブがかかっている。
 CGによる事件再現はデータが正確に与えられているのに他者に見せてはいけないデティールは削られている。
 あるいは入手できないディテールを補うために些末な情報を総動員する。だから気持ちが悪いのだ。
 この気持ち悪さはCGによる事件再現フィルムの作り方に限った事ではないのかも知れない。

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