saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

仰臥と青空

最近、水上勉氏の「仰臥と青空」をちら読みしてます。これは、この前、お仕事デートで越前海岸に行った時、料理旅館に置いてあった本で、暇つぶしに読んでいたら結構面白くて、、。
改めて購入し直したんですけど、レジの女の子は不思議な顔してました,自分でもそう思います(笑)。
水上勉氏の著書は今まで全然読んだ事がないので何とも言えないんですが、センテンスの頭から読み初めて受ける印象と、その終わりが全然違うという、変な感じに吃驚してしまいました。
写真でいうと一枚の写真の中でピントが近景にも遠景にも合っているみたいな不思議な感じですね。たぶんブログなんかでこんな文章書いてタラ誰も読んでくれないという典型みたいな(笑)。
「仰臥と青空」の内容は著書の副題にある『「老・病・死」を超えて』そのままで、chikaにはまだ縁遠いテーマが殆どなんだけど、水上勉氏が書く「孤独」に凄く吸い寄せられる部分があるんですよね。
自分の意志で身体弄っておきながら言うのも変だけど、時たま、「自分、このままで大丈夫か」って感じで気持ちがすごく変になる時がある、、。「仰臥と青空」には老いの孤独の章の中にこんなのがあって、、、

闇の奥から聞こえる音、父も母も聴いた嵐の風の音が耳に届く。風の音がするのである。それを言い換えれば孤独ということになろうか。どんな音かというと、片面がゴ−ォッと音がする。闇の向こうからも渦巻くようなゴ−ォッと音がする。そちらに落下しようとする半身軽快の身に「堪えてくれ」と言いたくなる。私は風の音をゆうべも聴いた。
それが子守唄のように慣れてくるのである。

これは自殺願望とかそういうものじゃなくて、、うーん上手く言えないなぁ(笑)。


ネットを流していたらこんなメディア論に出くわして、chikaが普段考えている事を上手くまとめてあるなぁと感心しました。

メディアという事業は、大衆が無知であるからこそ成り立つということになります。大衆は何が重要なのかを自分で判断できない、だから代わりに判断してあげるという商売が成り立つ、その判断能力を磨き上げてプロフェッショナルとして確立されたのがメディアビジネスであるというワケです。
メディア事業者は、自らを知の集約地として定め、それ以外を知の足りない者として定めて格差を保つことにより、そのビジネスの足場を築いてきたのです。

正鵠を射るとはまさにこの事、上のテキストの基盤になっているのは『信憑性の検証は近代メディアの発達史の根幹』と言う見方。
だからネットでいくら個人単位の情報発信が出来たとしても、巨大企業メディアが取り扱うある種のエリアについては、『信憑性の検証』において個人は絶対に歯が立たない。
chikaは、極力、そーゆーエリアに踏み込むような文章は書かないようにしてる。いくら政治批判や時事問題の評論をしてみても、そのニュースソース自体が、マスメディアで一度フィルターがかかったものを使っているわけだから。
その代わり、巨大企業メディアって『信憑性の検証』の名の下に情報操作も、場合によっては価値観操作さえも可能なわけで、それに対する批判的なスタンスだけは忘れないようにしてるつもり。
そういった意味でネットに登場する「マスゴミ」という言葉は凄く大切な気がする。
思い上がった「正義の味方ぶり」や「売らんかな主義」で話題の方向性を意識的に誘導したりする姿勢、、あまりにもミエミエの暴走は「マスゴミ」の言葉に相応し過ぎ。
で『信憑性の検証』を基盤にパワーを維持してる巨大企業メディアに対して、いかに個人が批判的立場であり続けられるかということなんだけれど、結局は、冒頭に書いたような超個人的な(自分自身との対話から生まれてくるような)「思い」をネット上で堅持することなんじゃないかと思う。
ネット上では個々がバラバラであり続けること、尚かつ共感・共鳴を信じること、この二つが凄く大切なような気がするんだけどどうだろう?。

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!