saienji's blog プププのプゥだぜぃ

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!

「新しい」と思う。

今日の「響鬼」は、ヒビキ叔父の後輩(イブキ)に対する即断を避けたアドバイスの描写など、結構まともだったように思う。
でも、よーく見るといつものように杜撰な脚本である事には違いがない。
第一、超常的な能力を持ち、更には数人の弟子さえ持った高齢の朱鬼が自分の親を殺した魔化魍に永年にわたる憎しみを持ち続けているという設定自体が自然ではないし、「悩んでいる」とは口に出すものの、さしたる内面的な葛藤も示していないあきらが突然、朱鬼についていったり。
「鬼祓い」を命じられたイブキが自分の任務に不安を覚えて苦悩するのかと思えば、あっさり朱鬼の半自殺で片が付いたり、、。

それでもぼーっと見ていると、斬鬼が朱鬼の顔を花で隠してやるシーンなど、それなりに「ええ話やなぁ」と想ったりするのは、井上脚本が話の整合性やテーマ性などをはなから無視して、人が感動する場面や設定のエレメントを繋ぎ合わせる事を至上としているからだ。

一つの物語を加速させる為にはブースターにあたる人物や事件が必要なのだが、普通それは物語自ら(登場人物とテーマの自立性によって)が生み出していくものだ。
しかし、井上脚本はそれを待たない。朱鬼しかり京介しかり、計算はあるが、必然性のないどこから湧いてでてくる癖のある登場人物たちがメインキャストに絡んで、彼らを窮地に追い込んで行き、書き割りみたいな「泣かせる・感動する」場面にはめ込んでいくのだ。
井上脚本の場合、時々、このでっち上げが偶然にもうまく繋がるとまるで中身があるようなエピソードに見える時がある。
でもこれはあくまで偶然だ。テーマ性のない物語は質の高いエンタメには絶対になりえない。
・・そう、いい加減そんな物語にうんざりしはじめた視聴者の前にかっての「響鬼」が現れた、、だからこそこの番組は「新生」仮面ライダーとして迎え入れられたのである。で現実は元の木阿弥であって、前の印象があるだけになおさら始末の悪い作品に成り下がっているのである。

今朝のエウレカセブンは久しぶりにレントンが出る幕のない「大人達」の戦いのエピソード。
異常な発動を示したニルバーシュが手を突いた床に飛び散るビームスの残骸、、。このアニメにはこういう突出したイメージが時々出てきて、見る者をひやりとさせる。
おそらく制作サイドは「甘くて口当たりの良い」部分と「アニメに馴染まない苦い」部分を意識的に織り交ぜているに違いない。・・「新しい」と思う。

ニューハーフな心で世界をおしおきよ!!